以前より書きためていた「建築家矢橋賢吉とその作品について」のレポートを掲載することにしました。
このレポートは20年ほど前に私自身のライフワークとして書き始めたものですが、思っていたほど調査が進まないまま時間ばかりが過ぎてしまいました。文献調査から始めたのですが、参考となる史料がほとんどないことに気づいたのはかなり経ってからで、いまだに完結はしていません。 ただ、ここでひとつだけお断りしておきますが、今回の掲載にあたって、はじめの頃のレポートをあえて書き換えることはしませんでした。バブル崩壊前でもあり、たとえば文中の「北海道拓殖銀行」は調査開始時点で存在し、小樽市内の記述でも現在とは一致しない部分があります。また「あとがき」の部分に研究を始めたきっかけなどが記載されていますので、「あとがき」の部分を最初に載せることとします。
「あとがき」 の部分より
以前からずっと気になっていた建物があった。 ────── 北海道拓殖銀行荒井山研修所(※)。
札幌の中心部から車で20分程、中央区荒井山の林の中にひっそりと佇むこの建物は、昭和34年まで大通西 3丁目に建っていた明治42年竣工の旧北海道拓殖銀行本店の一部だと言う。札幌の古い写真などを調べると、その中で必ずと言ってよいほど登場するのがこの建物である。当然のことながら設計者が誰なのか気がかりになり、いろいろと調べて行くうちに「矢橋賢吉」という名前がでてきた。大蔵営繕の建築家として彼の名前については以前から知ってはいたが、どのような経歴を持った人物なのかまったくわからない状態であった。そこでいくつかの文献を調べてみたものの、その詳細についてはほとんど見るべきものがなかった。そして、さらに調査を進めるにつれ、同じ大蔵営繕官僚の妻木頼黄、大熊喜邦に比べ、矢橋について書かれた資料がほとんど無いに等しいことがわかった。このことがきっかけで「矢橋賢吉」という建築家について興味を持つようになった。 それからしばらく時間が過ぎた。

小樽 ───── 私の大好きな街の一つである。札幌から近いこともあって学生時代から何度も足を運んだところでもある。その小樽の街に一つの転機が訪れた。「小樽運河」の埋立て、つまり道々臨港線の建設である。いかにその問題が大きかったかは当時の新聞を見れば明らかであるが、昭和61年春に完成したこの運河周辺地区の大改造によって、いくつかの変化が見られた。それは、第一に、テレビ、新聞、雑誌などで小樽の街が取り上げられ、全国的に知られるようになったこと。第二に、それらによって街を訪れる観光客の数が飛躍的に増加したこと。そして第三に、運河周辺の歩行者通行量が増えたことにより、潜在的な観光資源である歴史的建造物の再生利用という形で、飲食、物品販売を中心とした店舗が増えたこと、などである。 こうした流れの中、平成元年になって"北のウォール街"と呼ばれた地区の中心的存在でもあった 「旧北海道拓殖銀行小樽支店」(大正12年竣工) の建物が某ホテルとしてよみがえった。 原設計者は「矢橋賢吉」。彼の名前はホテルのパンフレットにも書かれ、一般の観光客にも知られることとなった。「矢橋賢吉」という建築家についてもっと深く調べてみたい、と思ったのはそんな事からであった。 そして、はじめの部分でもふれた " 妻木、大熊に比べ、なぜ矢橋について書かれたものが少ないのか " という点。後世に語り継がれる建築家に求められるもの、もちろん過去と現在で同じ比較をすべきではないが、例えば建築界への功績度や影響力の大きさ、それに作品の多さとか作品自体の出来の良さ、デザイン力の素晴らしさ、あるいは劇的な人生そのもの、といったことなどが思い当たる。しかし「建築家」を歴史の対象として考えると、そのような差に左右されるべきものではないはずである。それにもかかわらず、なぜ今までに書かれたものが少ないのか。 そんな素朴な疑問から、「建築家矢橋賢吉とその作品について」はスタートした。本人の出生地を訪ねて墓参りだけは何とかすませたが、遺族からの聞き取り調査などまだまだ調べ足りないところがたくさんあり、時間ばかりが費やされてしまった。レポートとしては不十分な点も多く、今後さらに時間をかけて不明な部分をひとつずつ明らかにして行きたいと考えている。
なおこの調査にあたっては、北海道立図書館、札幌市立中央図書館、国立国会図書館、岐阜県立図書館、大垣市立図書館、熊本県立図書館、熊本県立済々黌高等学校、長崎市立博物館、大阪府立中之島図書館、矢橋大理石株式会社札幌営業所、妙運山妙法寺、北海道拓殖銀行荒井山研修所の関係者各位にもご協力をいただいたことを記して、深謝するものである。
「あとがき」 の部分 ここまで
※ ご存知の通り、北海道拓殖銀行は平成10年11月、北洋銀行に営業権が譲渡されました。
  その後、荒井山研修所の施設は、昭和63年に市の『さっぽろ・ふるさと文化百選』に選ばれた旧拓銀本店の建物
  も含めて某宗教団体の所有となり、宗教研修施設として使用されていましたが、平成14年 5月、とうとう取り壊
  されてしまいました。
  以前、内部の見学をさせて頂いた際に撮影した写真がありますので、一部ご紹介を致します。
  (平成 3年 7月 撮影)

  
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