[ 函館 #01 - 017 ] 駒ケ岳噴火の絵葉書に使用されている写真について
[ CLOSE UP File 16 ] の 「 武林写真館 」 で登場した田本研造には 「 田本 繁 」 という甥にあたる養子がいました。そのあたりを少しだけ ・・・・・ 。

田本 繁は 1857 ( 安政 4 ) 年 12 月 3 日、田本研造と同じ神上村 ( 現 三重県熊野市神川町神上 ) に、大谷増蔵の長男として生まれました。幼名は筆之助といいます。

明治初年、函館の田本研造には当初子供がいなかったため、同郷の筆之助を養子として迎え入れることとします。筆之助は北海道に渡った後、1877 ( 明治 10 ) 年に江差で写真館を開業しますが、1883 ( 明治 16 ) 年には函館会所町の研造のもとへ戻り、1888 ( 明治 21 ) 年 5 月に 「 田本 繁 」 と改名、7 月には転籍をしています。

先妻を亡くしていた研造は 1891 ( 明治 24 ) 年に後妻をもらって長男胤男が誕生しますが、
写真館は胤男に継がせ、繁には別館を建てて独立させています。
この "田本繁写真館" は 1934 ( 昭和 9 ) 年 3 月 21 日の 「 函館大火 」 で焼失したため、直ちに再建しましたが、繁は翌 1935 ( 昭和 10 ) 年 6 月 20 日に亡くなります。その後、長男の胤二が後を継ぎ、1941 ( 昭和 16 ) 年頃まで営業を続けていたそうです。

[ CLOSE UP File 16 ] の 「 武林写真館 」 で参考図書としてご紹介させて頂きました、
『 幕末の北海道写真師 田本研造と熊野 』  ( 岡本実 著 昭和 58 年 3 月 25 日 発行 )
の 395 頁に、本編 [ 函館 #01 - 017 ] 「 駒ケ岳噴火 」 の絵葉書と同じ写真が掲載されていました。
撮影者は 「 田本 繁 」。
原写真の添書きには、「 田本写真館屋上より見たる駒ケ岳噴火の景 」 とあるそうです。
( 上の写真は本編からのものです )
※ 1929 ( 昭和 4 ) 年 6 月 17 日 の駒ケ岳大噴火について
気象庁の HP 内に [ 気象統計情報 ] として [ 北海道駒ヶ岳 火山活動の記録 ] が掲載されています。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/sapporo/113_Komagatake/113_katudo.htm
そこに記載されている内容につきまして、以下に引用させていただきます。

1929 ( 昭和 4 ) 年 大噴火
6 月 17 日 0 時 30 分頃 噴火が始まる ( 函館測候所で 0 時 26 分から約 8 分間微動を記録 ) 。次第に降灰が盛んになり、10 時 00 分頃鳴動を伴い大噴火。11 時 00 分の噴煙高度 13,900 m。午後から火砕流流下。噴石、降下軽石、火砕流、火山ガスによる被害は 8 町村に及び、家屋の焼失、全半壊、埋没など 1,915 余り。山林耕地の被害多く、死者 2 名、負傷者 4 名、牛馬の死 136 頭。同日 23 時 00 分過ぎには急速に活動が衰える。
なお、田本繁の肖像・経歴等につきましても、
岡本実氏の著書 『 幕末の北海道写真師 田本研造と熊野 』 から引用参照させて頂きました。