[ PROFILE ] はこのコラムの下にあります
2011.11.06 up
少し時間が経ってしまいましたが、10 月 14 日付 北海道新聞夕刊に、ロックギタリストの柳ジョージさんが 10 日午前 4 時 56 分、腎不全のため横浜市内の病院で亡くなったという記事が載っていました。享年 63 歳だそうです。
ここでは、彼の音楽に初めて出会った頃の話などを少し ・・・・・ 。

柳ジョージ ( 敬称略 ) といえば 「 雨に泣いてる 」、「 酔って候 」、「 微笑の法則 」、「 青い瞳のステラ 1962年夏‥ 」、「 さらばミシシッピー 」 などのヒットでよく知られていますが、私の場合はちょっと出会いが違っていました。
最初の出会いは今から 40 年程前、ある一枚のアルバム ( LP ) を買ったことがきっかけでしたが、
そのジャケットが下の写真です。

アルバムのタイトルは 「 大烏が地球にやってきた日( When The Raven Has Come To The Earth ) 」 ( 1971年6月25日 発売 ) 。
アーティストは 「 Strawberry Path 」 。
少しマニアックなアルバムですから聞いたことがないという方も多いかもしれませんね。中学三年のときから友達とバンドのまねごとのようなことをしてギターをひいていましたので、いろいろな音楽を聴きたくてレコード店 ( その頃の主なレコード店は、玉光堂四丁目店・同すすきの店・YAMAHA の三ケ所 ) めぐりをしていましたが、そんな中で買ったのがこのレコードです。
そのときは、内容もよくわからないまま店内で何曲か聴かせてもらいました。
当時、Strawberry Path はもちろん、メンバーである "成毛しげる" も "つのだひろ" もよく知らなかったのですが、ジャケット ( 石森章太郎 ) とライナーノーツ ( 景山民夫 ) が気に入って買いました。
そしてその一曲目、「 I Gotta See My Gypsy Woman 」 でヴォーカルをとっていたのが " 柳ジョージ " でした。
彼はこの一曲だけにヴォーカルで参加していますが、
この 「 Strawberry Path 」 、もともとその前身は " 成毛しげる " 、" つのだひろ " と、当時、ケネス伊東の後任としてゴールデン・カップスに参加していた " 柳ジョージ " の三人で結成した " ジプシー・アイズ " というバンドでした。

レコード店でジャケットの中を見たとき、成毛の長髪でレスポール ( グレコ製 ) を弾く姿にひかれてすぐに買ったわけです。アルバムの内容はだいたい予想通りのものでしたが、一曲だけ ROCK とは少し距離をおいた曲が入っていました。それは B 面 3 曲目の 「 MERRY JANE ON MY MIND 」 。
ギター・テクニックが聴きたくて買ったレコードでしたので、ちょっと物足りなく感じたのですが、なぜか耳に残るメロディー・ラインで、これが後に大ヒットとなった 「 メリー・ジェーン 」 との初めての出会いでした。

その後、グループは解散して成毛は渡英、このときに 「 NARUMO / LONDON NOTES 」 というソロアルバム ( ? ) を出します。これも買いましたがちょっと物足りない感じで、帰国後は " つのだひろ " に加え、当時新進バンドのギタリストだった " 高中正義 " にベースを担当させ、 「 フライド・エッグ 」 として再スタートします。
( 成毛しげるは 2007 年 3 月 29 日、大腸がんのため死去。享年60。 )

一方、 " 柳ジョージ " は " デイヴ平尾 " 、" ルイズルイス加部 " などと 「 ゴールデン・カップス 」 として再び活動を始めますが長続きせず、広島のアマチュア・バンドと一緒に活動するようになり、やがてこれが 「 柳ジョージ&レイニー・ウッド 」 となって 1975 年にデビューします。はじめの方でも紹介した 「 雨に泣いてる 」、「 酔って候 」、「 微笑の法則 」、「 青い瞳のステラ 1962年夏‥ 」、「 さらばミシシッピー 」 などのヒット曲を出しますが、1981 年暮れの日本武道館コンサートで解散。その後はソロシンガーとして活動を続けていました。

少し時間が前後してしまいますが、
" 柳ジョージ " が参加したもう一枚のアルバム ( LP ) を紹介します。

アルバムのタイトルは 「 陳信輝 / SHINKI CHEN 」 ( 1971年1月 発売 ) 。
アーティストは 「 陳信輝 & HIS FRIENDS 」 。
「 大烏が地球に〜 」 とほぼ同じ頃に買ったレコードですが、 当時の日本のブルース・ロックを代表するギタリストだった " 陳信輝 " の初のソロ・アルバムで、 " 柳ジョージ "、" ルイズルイス加部 " などが参加しています。

" 陳信輝 " は横浜で " 加部正義(後のルイズルイス加部)" などと 「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」 を結成 し活動していましたが、1967 年にバンド名を 「 ベベズ(BeBes)」 、さらに 「パワーハウス」 と改めて 1969 年 4 月にメジャー・デビューします。しかし、シングル 1 枚、アルバム 1 枚を残して 1970 年 3 月に解散。その後、セッション活動が中心となっていましたが、そんな中で発表したのが上のアルバムです。
当時としてはいろいろと買いあさった LP レコードの一部ですが、今となっては貴重なコレクションとなっています。
CD 全盛の時代となり、レコードを出して聴く機会があまりなくなってしまいましたが、何年か前にやっと CD で買いなおすことができました。

柳ジョージさん、どうぞ安らかに。 あらためてご冥福をお祈り致します。
2011.02.18 up
2 月 8 日付 北海道新聞に、ロックギタリストの Gary Moore が亡くなったという記事が載っていました。
2 月 6 日、休暇で滞在中のスペインのホテルで睡眠中に亡くなったそうで、享年 58 歳とのこと。

私の好きなギタリストの一人で、
特に強く影響を受け、彼の才能をいち早く見出した Peter Green へ捧げた 『 BLUES FOR GREENY 』 ( 1995 )、
Peter Green から譲り受けた Gibson Les Pole Standard ( 1959 年製 ) で演奏する " PARISIENNE WALKWAY " が
収録された 『 PARISIENNE WALKWAY - THE BLUES COLLECTION 』 ( 2003 ) などのアルバムが手元にありますが、
中でも後者の 一曲目に収められた " OH PRETTY WOMAN ( A. C. Williams ) " は大好きな曲の一つです。

このページの下の方で、John Mayall & The Bluesbreakers と Peter Green にハマったことを書いてありますが、
そのレコードの中では Mick Taylor がこの曲を弾いていました。
でも Gary Moore の演奏を初めて聴いた時はちょっとした驚きで、すっかり気に入ってしまいました。
あらためてご冥福をお祈り致します。

YouTube で " OH PRETTY WOMAN ( Live ) " をみつけました。こちら からどうぞ。
2011.01.25 up
昨年の話で恐縮なんですが・・・・・・

昨年、12 月 6 日付 北海道新聞夕刊に、
『 ウッドストックがやってくる! 』 という映画の紹介が載っていました。
この PROFILE の中でもふれていますが、
" ウッドストック " は 1969 年 8 月 15 日 〜 17 日の三日間、ニューヨーク郊外のベセルの丘で行なわれた史上最大のコンサートで、40 万人の若者が集まりました。現在でもロック史上に語り継がれる伝説のコンサートです。
映画 『 ウッドストックがやってくる! 』( Taking Woodstock 121 分 ) は、" ウッドストック・ミュージック・フェスティバル " の裏側を別の角度から描いた青春映画で、コンサートが開催されることになった人口 2400 人の小さな町の一人の青年が主人公ですが、当時のコンサートの様子は一切映らずミュージシャンも誰一人登場しません。
本家である映画 『 ウッドストック 』 を見た人でなければ理解しにくいかもしれませんが、歴史的なイベントの裏側ではどんなことが起きていたのかを描いた物語です。

WOODSTOCK MUSIC FESTIVAL は、当初、New York 州 Ulster 郡 Woodstock で開催が計画されましたが、
周辺住民の反対から町が開催を断ったため、隣りの Sullivan 郡 Bethel にある Max Yasgur 氏所有の農場で開催されました。


第 62 回 カンヌ国際映画祭 ( 2009 年 5 月 ) のコンペティション部門で初上映されましたが、
日本では 「 監督主義プロジェクト 」 の第 1 弾として今月 15 日から公開されています。
札幌では 「 ディノスシネマズ札幌劇場 」 で 2 月下旬に公開の予定とか。

なお、Taking Woodstock [ Original Soundtrack CD ] も発売中です。
01. Freedom (2009) - Richie Havens  
02. Opening  
03. Wooden Ships - Crosby, Stills & Nash  
04. China Cat Sunflower (Live) - Grateful Dead  
05. Maggie M'Gill - The Doors  
06. Elliot's Place  
07. Coming Into Los Angeles (Live) - Arlo Guthrie  
08. I-Feel-Like-I'm-Fixin'-To-Die Rag (Live) - Country Joe McDonald  
09. Going Up The Country (Live) - Canned Heat  
10. Try (Just A Little Bit Harder) (Live) - Janis Joplin  
11. Office 2  
12. The Red Telephone -Love  
13. Beautiful People (Live) - Melanie  
14. I Shall Be Released (Live) - The Band  
15. Perspective  
16. One More Mile - The Paul Butterfield Blues Band  
17. Volunteers - Jefferson Airplane
詳細は
映画 『 ウッドストックがやってくる! 』 公式サイト http://ddp-movie.jp/woodstock/index.html で。
公式サイトでも公開されていますが、映画 『 ウッドストックがやってくる! 』 の予告編は こちら からどうぞ。

Crosby, Stills & Nash の " Long Time Gone " を BGM に
映画 『 ウッドストック 』 ( 1970 ) の OPENING の一部 ( 4 分 17 秒 ) は こちら からどうぞ。
2009.11.05 up
どうしてこんなに悲しいことばかりが続くのでしょうか ・・・・・・ 。

皆さんの中にも、最初のニュースを聞いて " なぜ ? " と思われた方もいるのではありませんか。
10 月 17 日 土曜日の午前中、たまたま聴いていたラジオ番組の中で流れた速報に一瞬耳を疑いました。
音楽プロデューサーで 「 ザ・フォーク・クルセダーズ 」 のメンバーだった加藤和彦さん ( 62 ) が、午前 9 時半頃に長野県軽井沢町のホテルで亡くなっているのが見つかったというもの。( 17 日の時点では身元未確認 )

このページの 下の方 で、初めてギターを買ってもらった頃に、" ザ・フォーク・クルセダーズ " の曲を一生懸命になって練習していた話を紹介していますが、" 帰って来たヨッパライ " のレコードは発売と同時に買いに行ったものです。
また " イムジン河 " は、レコード会社の政治的配慮からすぐに発売中止になってラジオでもかからなくなり、楽譜を掲載したものもほとんどなかったのですが、 それが、確か 2002 年の 3 月だったと思いますが、たまたま CD 店で Remaster 盤を見かけてすぐに購入。はじめは見間違いかと思ったほどで、家に帰り何度も聴いていたのがついこの前のような気がします。

また、ずいぶん前でよく覚えていないのですが、" THE ALFEE " の坂崎幸之助が参加して 2002 年 11 月 17 日に NHK ホールで行われた一度きりのコンサートの動画を見つけて保存してあったものがありますので、その中から、
中学校の音楽の教科書にも載ったという名曲 " あの素晴しい愛をもう一度 " ( 作詞 北山修/作曲 加藤和彦 )
の部分をここで紹介いたします。加藤さんの元気な姿がとても印象的です。 こちら からどうぞ。
なお、YouTube でみつけたデビュー直後の " イムジン河 " はこちら

加藤さん、是非天国でも素晴らしい音楽を作って下さいね。どうか安らかに。心よりご冥福をお祈り致します。
2009.09.17 up
また訃報です。
このページの下の方で初めてギターを買ってもらった頃の話をのせていますが、
そこで登場する P.P.M. ( ピーター・ポール&マリー ) の紅一点だった " マリー " ( Mary Travers ) さんが 9 月 16 日、
白血病のため入院先の Connecticut 州 Danbury の病院で亡くなりました。72 歳でした。
彼らについては、当時は映像などはもちろんなく、LP ジャケットの写真とその声で想像するしかなかったのですが、
真新しいギターで楽譜を見ながらコードを押さえ、一生懸命一人で歌っていたのを思い出します。
「 花はどこへ行った ( Where Have All the Flowers Gone ) 」 とか 「 パフ ( Puff ) 」 、「 虹と共に消えた恋 ( Gone The Rainbow ) 」 、「 風に吹かれて ( Blowin in the wind ) 」 などにハマっていました。

YouTube で " 風に吹かれて ( Blowin in the wind ) " をみつけました。 ( 彼女がメイン・ヴォーカルなので ・・・ )
保存したものがありますので、こちら からどうぞ。  また、Official Site もご覧下さい。
ご冥福をお祈り致します。
2009.08.18 up
8 月 14 日の 北海道新聞夕刊 にも記事が掲載されていましたが、Gibson LES PAUL model でも有名なアメリカのギター奏者 レス・ポール 氏が 13 日、肺炎によりニューヨークの病院で亡くなりました。94歳だったそうです。

じつは、このページの下の方にも書いてありますが、高校を卒業した頃にギターの本物に触れてみたくなって、
当時人気を分けあっていた Gibson の SG と LES PAUL、そして Fender の STRATOCASTER の中からどれにしようか本当に迷ったことがありました。
かなり時間をかけて、結局 LES PAUL の sunburst に決めたんですが、その頃からいつか LES PAUL の音源を聴いてみたいと思っていました。( もちろん当時は CD などなくアナログ盤のみのレコード店でした。 )
なかなか機会がないままずいぶんと時間が過ぎたんですが、今から 10 年程前にレンタルビデオ店で
" THE SUPER SESSION \ - LES PAUL & FRIENDS "
という VHS 版の MUSIC VIDEO を見つけて借りてきました。今みたいに DVD が普及する前でしたので TAPE のものしか置いていない店でしたが、家でビデオを見てたいへん感動し、すぐにダビングしたのを覚えています。

最近は DVD が中心で、そのテープを見ることもほとんどなくなりましたが、この訃報を目にして、あらためて見てみました。彼をご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、この機会にその VIDEO の最初の部分だけ紹介することにしました。収録されたのは 1998 年 8 月 18 日、場所は New York の BAM Majestic Theatre 。Les Paul 83 歳の時の演奏で、Eddie Van Halen、B.B.King などの豪華ゲストを迎えた見ごたえのある VIDEO です。今なら多分 DVD で出ていると思いますが・・・・。
VIDEO の一部 ( 2 分 40 秒 ) は こちら からどうぞ。  また、Official Site も是非一度ご覧下さい。
どうぞ安らかに。 あらためてご冥福をお祈り致します。
2009.04.07 up
皆さん、自分の部屋で音楽を聴く時って、どうしていますか。
私の場合、どこかでも書いたと思うんですけど、PC 以外で聴くことはほとんどありません。
ただ最近になってチョット変化が ・・・・・・ 。

今までは、10 年以上も愛用している Winamp に聴きたい曲を入れて endless にかけていたんですが、
Free Internet Radio で自分的に最高のチャンネルに出会いました。
私と同世代の方の中には、すでにお聴きの方もいるのではないかと思いますが、
http://www.181.fm/ というサイトの中の Classic Hits 181 というチャンネルで、
60 年代から 70 年代の洋楽を 24 h かけ続けています。
選曲も当時ヒットしたものばかりなので、本当にうれしくなります。

私はやはり Winamp が使い慣れているので、URL に http://sc-rly.181.fm:80/stream/1094 と入れて聴いています。(たまに URL が変わる場合がありますので、そのときは頑張って見つけてください)
Winamp だと他に聴きたい曲があっても同時にリストに入れておけるので ・・・・・・ 。

iTunes が好きだという方は、ラジオ・ライブラリのストリーム・チャンネルに、
Classic Rock - All Classic Hits (181.FM) というのがありますので、そちらでどうぞ。
□       □       □
今すぐ聴いてみたいという方は、こちら からどうぞ。
開いた別ウィンドウ内のプレイヤーで再生ボタンを click するとしばらくしてラジオが流れます。
( streaming radio ですので停止ボタンを click しない限り流れ続けます。─── (^^ゞ )
また、ほかにもいろんなジャンルのチャンネルが用意されていますので、ぜひ一度 サイト をご覧下さい。
たとえば、全部 Beatles みたいなチャンネルもあります。こちら から ・・・・・・ 。

[ PROFILE ] はこの下にあります

では、プロフィールを・・・。

皆さん、こんにちはー。どこにでもいそうな "音楽好き" の私です。
このコーナーは自己紹介のページなんですが、どうせなら歴史的に街の様子やさまざまな出来事を盛り込んでみてはと考え、
少しくだけた感じで綴ってみました。ヒマツブシにどうぞ。

小生、今から ○ 年前 ( まぁ読んでいくとだいたい年齢はわかってしまいますが ・・・ ) 、札幌の医大病院で "この世にデビュー !!" しました。病院は家から歩いて 5 分ほどのところでしたが、さすがに今とは違って道路で舗装してあるところはほとんど無く、天気がいいと土ぼこりがひどくて散水車なるものが大活躍。車を持っていればお金持ちで、車の通行量もそれほど多くない時代。時折、馬車っていうか、馬が荷車を引いてるやつ ・・・ ( 名前はなんだ ? ) が通ってもめずらしくなかった頃。市電が走る電車通りでさえ、なんとデコボコの " ジャリ道 " でした。

父親が役所勤めだったため、自宅といっても官舎だし、もともと広いわけがなかったのですが、家具も今の時代ほど多くはなく、それなりに生活ができていたんだなぁという感じがします。
( 上の写真は、太い丸太でできた官舎 ( 6 軒 ) の門で、南 3 条通りに面していました。向こうに見えている背の高い木は北星学園敷地内のポプラ。たぶん ・・・ ですが )
家の向いは星井整形外科 ( 今でもあります )。そこの家の裏庭にあった池に落ちたこともありました。また、誤ってビー玉を飲み込んでしまい、父が私をさかさまに抱えて向いの病院に運び込んだら、そこの玄関で口からビー玉が落ちて九死に一生を得たこともあったりして・・・。だから今の自分があると思うと、本当に親に感謝!です。

家の隣はフェンスを隔てて札幌医科大学のテニスコート。
( 今は官舎のあったところも含めて札幌医大保健医療学部の建物が建っています。)
おかげで (?) テニスボールがよく飛んできて、夕方見回ると結構な収穫だったなぁ。
( 左の写真に見えているフェンス内が医大のテニスコート、さらに東側にはバレーコートも。通りは南 3 条通り。)
だからと言ってはなんですが、ボールはほとんど買った記憶がありません。
( ゴ ・ メ ・ ン ・ ナ ・ サ ・ イ )
でも冬の遊び場としては最高でした。雪だるまなんか、すぐできるし ・・・ 。
それ以来、20 年余りを札幌で過ごします。

 

私が通った相愛幼稚園は、真宗本願寺派 尭祐寺というお寺の経営でしたが、よく御堂の縁の下にもぐって真っ黒になったまま帰り、ひどく怒られたことを覚えています。
また冬のことでしたが、帰るときになって長靴が片方無いのに気づいたものの、子供らしく、そのまま片方だけ履いて雪道を帰ったことがありました。そのため家に着いたときには片方だけ靴下のまわりに雪がつき、その分だけ足の長さが不ぞろいになっていて、みんなからものすごく笑われたこともありました。
この幼稚園はその後名前が変わって大通幼稚園となりましたが現在も同じ場所にあって、以前、卒業名簿を見せてもらおうと訪れた時、昔教わった先生が園長先生になっていてたいへんなつかしく、また、驚いたことがありました。

私の通っていた二条小学校も家から歩いて 5 分ほどの電車通り沿いにありましたが、すぐ近くに、いつも白い割烹着を着たおばあちゃんのいる、小学生のたまり場的な三條商店 (文房具店で、店の広さは 4 畳半ぐらい) があって、シャープ * 製のシャープペンシル ( 今では珍しい 0.9 mm ! デザインは無条件で一種類のみ ! )、紙せっけん、色のついたちり紙など、生まれて初めて手にしたのもその店だった気がします。またその店と電車通りをはさんだ向かい側にはお菓子屋さんがあって、店頭には白い冷凍庫 ( コンビニなどでアイスなどを売っている床置き形のもの ) があって、たくさんのアイスキャンディーが入っていたのが印象的でした(今はほとんどお目にかかれない紙袋入りです)。あの頃のアイスキャンディーの味をずっと探し続けていますが、いまだに出会ってはいません。香料がぜんぜん違うんだよなー。
* ご存知の方もいるのではないかと思いますが、ここでいう 「 シャープ 」 とは、液晶テレビの " 亀山モデル " で有名な総合家電メーカーの SHARP です。前身である 「 早川金属工業 」 を創業した早川徳次 ( 1893 - 1980 ) は 1915 年に 「 早川式繰出鉛筆 」 を発明し 「 早川兄弟商会金属文具製作所 」 を設立、エバー・レディ・シャープ・ペンシルと名づけて欧米で大ヒットしました。これが現社名の由来です。
それと、近くには大きな公園がなかったため、ずっと離れたところにある "なかよし公園" まで自転車でよく通いました。
初めての自転車はたしか 20 インチで、父がよその人からもらってきたものでしたが、それなりにうれしく、家からすぐ近くの道路で、毎日夕方まで乗る練習をしたのを覚えています。なんか、車の免許を取る時の " ウキウキ気分 " に似ているかも・・・。
この思い出の道も今は札幌医科大学のキャンパスに組み込まれてしまい、遊歩道になってしまいました。
思い出がひとつ消えたって感じです。

また敷地の関係なのかも知れませんが、私の小学校には当時まだプールがなく、夏の水泳の授業は少し離れた幌西小学校まで歩いていって、プールを借りていたことを覚えています。( 私が卒業した後すぐに思い出の校舎は建て替えられ、もちろんプールも標準装備 ! です ) その学校の向かいには幌西堂という文房具店がつい最近までありました。駄菓子 ( 当時としては当たり前の品揃えですね ) はもちろん、"クジ引き" も今となっては懐かしいです。
前出の三條商店とは品揃えも微妙に違ったりしていて、その学校がうらやましかったなぁ ・・・・・・ 。

そういえば、幌西小学校までの道の途中 ( といっても家から 100 m くらいのところ ) に、
レンガの壁に囲まれて北星学園の大きな木造校舎が建っていました。
それが小学校 3 年のとき、大きな火事で燃えてしまいました。
たしか夜だったと思いますが、窓の外が真っ赤に染まっていた光景が今でも思い出されます。
小学生だった自分にとってはすこし " キツイ " 体験だったと思う ・・・・・・ 。
今、その旧校舎群では " 宣教師館 ( 1926 現 北星学園創立百周年記念館 ) " だけが健在です。  ! (^^) !

 

話は変わりますが ・・・・・・
生まれて初めて買ってもらった本物のレコード ( 45 回転のもの) は、克美しげるの " エイトマン " の主題歌です。
赤や青の薄っぺらな " ソノシート " ( 今となっては死語ですね ) は雑誌の附録でよくついてきましたが ・・・・。
その頃ちょうどテレビで放映 ( 1963 年 11 月 7 日 〜 1964 年 12 月 24 日 HBC ) されていまして、
小学生必見 (?) の番組でした。( 残念ながら、ジャケットなどは失くなってしまいましたが、レコードの方は今でも持っています )
私の記憶ではこの " エイトマン " の放映が終わって、あの " スーパー・ジェッター " が始まったんだと思います。
どちらもスポンサーは、ふりかけの " のりたま " で有名な 「 丸美屋食品 」 だったような気がします。

我が家のオーディオシステム (?) は、木製の箱でできたラジオと、本体がプラスチック製のレコードプレーヤーのみ。
ラジオは本体にオールマイティーのスピーカーが一個ついていましたが、プレーヤーのほうはテレビのスピーカーにつながないと音が出ないタイプのものでした。

でも、小学生の頃といえば、なんと言っても印象的だったのは " Beatles "
とはいってもべつに音楽に目覚めたというほど大げさなものではなく、
たしか 3 年のときに大ヒットした " PLEASE PLEASE ME " のメロディが大好きで、今でもよく聴いています。
その " Beatles " がなんと 6 年生のときに来日、その様子はテレビのニュースでも流れました。

その頃になるとかなり音楽に触れる機会も多くなってきます。
" ザ ・ モンキーズ " というアメリカのテレビ番組にもハマっていました。
( 1967 年 10 月 6 日 〜 1969 年 1 月 31 日 HBC )
恥ずかしながら、ファンクラブにも入っていたりして ・・・・・・。
( 右のロゴは当時からあって、同級生に上手に書く子がいました。(^^ゞ )


ここで、同じ頃によく見ていたテレビ番組をあげてみますね。( 50音順に )

    ◇ 0011ナポレオンソロ    ◇ ザ・ヒットパレード
    ◇ FBI            ◇ じゃじゃ馬億万長者
    ◇ 意地悪ばあさん      ◇ シャボン玉ホリデー
    ◇ インベーダー       ◇ 七人の刑事
    ◇ ウルトラQ         ◇ 柔道一直線
    ◇ 歌のアルバム       ◇ ズバリ!当てましょう
    ◇ 歌のグランプリ      ◇ タイガーマスク
    ◇ お笑い頭の体操      ◇ タイムトンネル
    ◇ キイハンター       ◇ 特別機動捜査隊
    ◇ キックボクシング     ◇ 謎の円盤UFO
    ◇ 巨人の星         ◇ 野球教室
    ◇ 原子力潜水艦シービュー号 ◇ 妖怪人間ベム
    ◇ ザ・ガードマン      ◇ 夜のヒットスタジオ

また " クラシック ・ ギター " でしたが、
生まれて初めて買ってもらったのもこの頃でした。べつに " 買って " とせがんだわけではなく、
父がある晩突然、買って帰ってきました。でも嬉しくて大喜びしたことだけは記憶に残っています。
( 大きなダンボールケースを開けたときの塗装の匂いは今でも覚えています。 )
フォーク ・ ソングの楽譜を買っては " P.P.M " や " フォーク ・ クルセーダーズ " なんかの曲を一生懸命 (?) 弾いていたなぁ。 " guts " とか " ヤング ・ センス " なんかを読みながら ・・・。

当時流行っていたフォーク・クルセダーズの曲としては、

    ■ 帰って来たヨッパライ  昭和 42 年 ( 1967 ) 12 月 発売
    ■ 悲しくてやりきれない  昭和 43 年 ( 1968 )  3 月 発売
    ■ 青年は荒野をめざす   昭和 43 年 ( 1968 ) 12 月 発売
といったところでしょうか。
Myojo guts 第 3 号
1969. 9. 25 集英社 発行 ( 150 円 )
Myojo young sense 第 3 巻 第 1 号
1970. 1. 15 集英社 発行 ( 680 円 )
 
YOUNG GUITAR 第 3 号
1969. 9. 20 新興楽譜出版社 発行 ( 250 円 )
物置に何冊か残っていましたので掲載します。
 

このあたりから、ちょっと音楽的にマニアックな話になってきます。
興味のない方はとばしていただいても結構ですよ。 ・・・・・・ (ーー;) ← こちらから途中退場することもできますが ─────
・・・・・ でも ・・・・・ 、せっかくですから、できれば最後まで ・・・・・・・・・

" Beatles " もそうですが、小学校 6 年の頃になると海外からヒット曲がどんどん入ってきました。当時はテレビの音楽番組もまだ少なく、おもな情報源は AM ラジオでした。
たしか平日の夕方 5 時から民放 ( STV ) で、「 ハイ ! ダイヤルリクエストです。」 という番組があって、海外の曲を含めたランキングチャート形式の番組でしたが、学校から帰るとよく聴いていました。
その頃流行っていたものと言えば、

" Rolling Stones " の " サティスファクション ( Satisfaction ) "、
" Mamas and Papas " の " 夢のカリフォルニア ( California Dreamin' ) "、
( 私にとっては、↑このレコードが始めての " 赤盤 " でした。下の方で Link している別ウィンドウ内にジャケットを掲載しています。)
" Walker Brothers " の " ダンス天国 ( The land of a 1000 dances ) "、
" Animals " の " 朝日のあたる家 ( The House of The Rising Sun ) "

などですが、ご存知ですか。

また以前、" Rolling Stones " の 「 コンパクト・レコード 」 について少し書いたような気もするんですが、
せっかくですので、その頃よく聴いていたものの " レコード・ジャケット " を掲載することにしました。
まだ " Brian Jones ( 1942 - 1969 ) " が亡くなる前ですが、今となっては懐かしい姿ですね。
       
  「 ザ・ローリング・ストーンズ 」
( 1966 )


1 (I Can't Get No) Satisfaction
2 As Tears Go By
3 Get Off Of My Cloud
4 19th Nervous Breakdown
  「 黒くぬれ !
( 1966 )


1 Paint It, Black
2 Flight 505
3 Going Home
  「 この世界に愛を 」
( 1967 )


1 We Love You
2 Dandelion
3 Ruby Tuesday
4 Let's Spend The Night Together
 
ここ最近、その頃のヒット曲が TV - CM によく使われていますが、個人的にはもっとー、って感じかな。

YouTube で " Mamas and Papas " の " 夢のカリフォルニア " をみつけました。多少頭切れですけど ・・・・・(^^ゞ
当時はレコードジャケットでしか見れませんでしたが、この頃の " Michelle Phillips " はカッコ良かったですね。
( 動画は 1967 年 6 月 18 日夜の " Monterey Pop Festival "。彼女は当時 23 歳でした。こちら からどうぞ。 )
( なお、" Mamas and Papas " 誕生のいきさつは 下の方 で簡単にふれています。 )

でも残念なことに彼女以外のオリジナルメンバーは他界 ・・・。
( John Phillips 1935.8.30 〜 2001.3.18 )
( Denny Doherty 1940.11.29 〜 2007.1.19 )
( Cass Elliot 1941.9.19 〜 1974.7.29 )

( Michelle Phillips 1944.6.4 〜 )

そんな彼女も今年で 70 歳。現在は女優として頑張っているみたいです。いつまでもお元気で。

そういえば、彼女と John Phillips との間に生まれた一人娘の Chynna Phillips ( 1968.2.12 〜 )。
( ※ John Phillips は四度結婚して二人の息子と三人の娘がいます。)
1990 年に Wilson Phillips を結成し、Billboard Hot 100 ではデビュー・シングル 『 Hold On 』 が全米1位に輝きました。好きな曲の一つで、今でもたまに聴いたりしています。( 松田聖子も cover していましたね ) 1995 年にはソロアルバム 『 Naked and Sacred 』 を発売し、私生活ではこの年、アメリカの映画俳優、William Baldwin と結婚しますが、Wilson Phillips もいつのまにか消滅。2004 年には 『 California 』 をリリースして 10 年ぶりに復活を果たしています。この cover album では Mamas and Papas の大ヒット曲 " Monday Monday " も取り上げています。
また一世を風靡した " グループサウンズ " が出始めたのもこの頃です。
テレビでは " ザ ・ ヒットパレード " ( 1959 年 6 月 17 日 〜 1970 年 3 月 31 日 STV ) という番組が放映されていましたが、国内はもちろん、海外からもアーティストを呼ぶなど、ちょっと進んだ音楽番組といった感がありました。

そう言えば、ロック好きにはすっかり定着してきた FIJI ROCK FESTIVAL。
以前 Neil Young が登場したことがありましたね。
その彼が活動していた " Crosby, Stills, Nash & Young " というグループをご存知ですか。 あとで詳しく書いてありますが、「 Wood Stock 」 という映画にも出ていました。

私はアルバム " 4 WAY STREET " ( 1970 年 LIVE ) からファンになりましたが、個人的には " ♪ THE LEE SHORE " が一番好きです。その NASH が " Graham Nash " で、その彼の元在籍していたグループが " The Hollies "。
" bus stop " という曲  ─── 以前勤めていた職場で、この曲を知っているかどうか、まわりの人にたずねてみたんですが、" バスを 〜 待つあいだに 〜 ♪ " の " バス ・ ストップ ( 平浩二 ) " と勘違いされました。 (T_T) ─── が日本でも大ヒットして来日し、テレビ出演したのもその番組でした。
( " 4 WAY STREET " のジャケットですが、アナログ盤の取込みが大変なので CD のものにしました )

啓明中学校 1 年から 2 年にかけては、そのグループサウンズの全盛時代でした。たくさんのバンドが存在しましたが、その中でも一番人気のあったのは " ザ ・ タイガース " と " ザ ・ テンプターズ " だったと思います。
同じクラスの女子生徒たちが、いつも夢中になって話していました。
私は " ザ ・ ゴールデン・カップス " にハマっていましたが ・・・・ 。

そういえば話は変わりますが、中学二年の時に大きな地震がありました。
昭和 43 年 5 月 16 日 午前 9 時 48 分、十勝沖地震 (M7.9) です。
私の記憶では休み時間だったような気がしますが、私のクラス ( 2年1組 ) は校舎二階、玄関のすぐ上にあって、地震に気づいてすぐに窓から外を見たんですが、玄関前の小さな池 ( たぶん今はないと思いますが ) の水が波をうってあふれていたのを覚えています。生まれて初めての大きな地震の体験でした。

話をもとに戻しましょうね。
ここで、当時流行っていたグループサウンズのおもな曲を発売順にまとめてみました。
昭和 41 年夏頃から 43 年暮れにかけてが、まさに GS の黄金期だったのがよくわかります。
発売年月TitleArtist
昭和41(1966)年 7月青い瞳ブルー・コメッツ
        9月夕陽が泣いているスパイダース
       11月想い出の渚ワイルド・ワンズ
昭和42(1967)年 2月亜麻色の髪の乙女ヴィレッジ・シンガーズ
僕のマリータイガース
        3月太陽の翼スパイダース
ブルー・シャトウブルー・コメッツ
        5月シーサイド・バウンドタイガース
        6月好きさ 好きさ 好きさカーナビーツ
マリアの泉ブルー・コメッツ
        7月風が泣いているスパイダース
        8月モナリザの微笑タイガース
バラ色の雲ヴィレッジ・シンガーズ
        9月青空のある限りワイルド・ワンズ
       10月運命/未完成バニーズ
今日を生きよう忘れ得ぬ君テンプターズ
       11月朝まで待てないモップス
太陽野郎バニーズ
昭和43(1968)年 1月君だけに愛を/落葉の物語タイガース
        3月小さなスナックパープルシャドウズ
太陽の花バニーズ
あの時君は若かったスパイダース
神様お願い!テンプターズ
銀河のロマンス/花の首飾りタイガース
        4月長い髪の少女ゴールデン・カップス
        5月雨のバラードスウィング・ウエスト
ガール・フレンドオックス
        6月エメラルドの伝説テンプターズ
        9月愛する君にゴールデン・カップス
       11月春の海 #シャープ・ファイブ
       12月スワンの涙オックス
青い鳥タイガース
昭和44(1969)年 4月白いサンゴ礁ズー・ニー・ヴー
        9月クラシカル・センセーション 四季/剣の舞 #シャープ・ファイブ
昭和46(1971)年 3月月光仮面モップス
昭和47(1972)年 7月たどりついたらいつも雨ふりモップス
 この色  の曲は特に好きだったものです。
# 印のついたものは、その演奏スタイルとギターテクニックにはまって初めて買ってしまった LP 盤レコード
です。最近になってやっと CD で買い直すことができました。
下のジャケットがそれで、二枚の LP 盤が一枚の CD になったものです。
( YouTubeでみつけた動画から sound のみ用意致しました。こちら からどうぞ。 )

敬称を略させてもらいますが、" ザ ・ タイガース " 出身で、皆さんもご存知のジュリーこと沢田研二 ( テレビドラマ 『 時間ですよ 』 で " はまさん ( 悠木千帆 現・樹木希林 ) " がポスターに向かって叫んでいましたネ ) や、最近までキムタクと CF で共演したり、テレビドラマ 「相棒」 で殉職した警察庁長官官房長 " 小野田公顕 " を演じた岸部修三(現・岸部一徳 弟は岸部シロー ) をはじめ、" ザ ・ スパイダース " 出身で、TBS系 " チューボーですよ " や NTV系 " 世界一受けたい授業 " に忙しい堺正章、グループの解散以来ずっと音楽活動を続けている、かまやつひろし、テレビのテーマソングなどの演奏でよく登場する大野克夫、井上尭之、" ザ ・ テンプターズ " 出身で、俳優一本のショーケンこと萩原健一など、現役で活躍されている人たちも多くて、たいへんうれしい限りです。

ただ残念なことに、2007 年 3 月 14 日、" ザ ・ モップス " 出身の鈴木ヒロミツが亡くなったというニュースにはたいへん驚かされました。" ♪朝まで待てない "、" ♪月光仮面 "、" ♪たどり着いたらいつも雨降り " などは大好きな曲でしたし、刑事ドラマでも活躍されていましたね。それと・・・、マイク真木の ♪ 〜 のんびり行こうよ・・・で話題になった モービル石油の CM は今でも覚えています。ご冥福をお祈りいたします。
残念です・・・・。少し上のほうで、中学校時代に " ザ ・ ゴールデン・カップス " にハマっていたと書きましたが、その vo. でリーダーだった " デイヴ・平尾 " が亡くなったというニュースが報道されました。 2008 年 11 月 10 日の朝、入院治療中に 63 歳で亡くなられたそうですが、昭和 43 ( 1968 ) 年、立て続けに発表した 「 長い髪の少女 」、 「 愛する君に 」 は、多くの GS の曲の中でも、自分的にベスト 10 に入れたい曲で、今でも一週間に二、三度は聴くんですよ。
( じつは今もこの二曲を聴きながら更新作業をさせてもらっています。 )
いつまでもその素晴らしい音楽は残っていきます。 どうぞ安らかに・・・・・・。 ご冥福をお祈りいたします。
 

国内の話はこれくらいにして、今度は海外のほうにちょっと目を向けてみましょう ・・・ 。

当時の音楽メディアといえば、今で言うアナログ盤レコードで、45 回転のシングル盤と33 回転の LP 盤が中心だったと思います。シングル盤の定価はたしか 330 円か 370 円位 (?) だったと思いますが、そのころ小遣いで買ったレコードに
" Jefferson Airplane "" あなただけを ( Somebody to Love ) "" Jimi Hendrix " " 紫のけむり ( Purple Haze ) " があります。ご存知の方いるでしょうか。はっきり言って、これにはハマったなぁ。

上記 Jefferson Airplane の公式サイト内に当時のコンサートの " ポスター " が多く紹介されています。
そのほとんどが、ベイエリアを二分した " Fillmore " と " Winterland " でのもので、
それらのデザインからも 「 サイケデリック 」 というものが理解できるかも ・・・ 。

それまで聞いていた " Beatles " や " Rolling Stones " とはまったく違い、「 これが ROCK なのかなぁ 」 って感じでした。とくに、" Jefferson Airplane " はリード ・ ヴォーカルが " Grace Slick " というカッコイイ女性で、これがシスコ ・ サウンドの真髄・・・という印象だし、" Jimi Hendrix " の方はというと、ギターをもてあそぶっていうか、ギタリストがステージの中心になる・・・という、かなりのショックを覚えました。
どうもこの頃から洋楽が好きになっていったような気がします。
それと、たぶん今でもあると思うんですが、中学 2 年になってから 「 ミュージックライフ 」 という月刊の音楽雑誌を買って読んでいました。今考えてみればもったいない話なんですが、大学 3 年の時に 100 冊以上になって本棚に入りきらなくなったため、古本屋に売ってしまいました。
時々その頃のものを古本屋で見かけるんですが、結構いい値段で売っていたり。・・・ (T_T)
その " Led Zeppelin " の臨時増刊などを夢中になって読んだり、" Jimi Hendrix " などの大きなポスターを部屋の壁に貼ったりしていました。そのころは確か狸小路に洋楽のポスター専門店があって、よく買いに行ったような気もします。

※ シンコーミュージック発行の 『 ミュージック ・ライフ 』 ですが、その後、「 1998 年 12 月号 」 をもって突然の休刊となってしまったようです。

 

そして、ちょうどその頃の話なんですが、小遣いをはたき " あのアルバム " を買ってしまったのです。
" CREAM "" WHEELS OF FIRE " ( 邦題 「 クリームの素晴らしき世界 」 ) ・・・・・・。
これは 1968 年に発売され全米で No.1 に輝いたもので、スタジオ録音盤と実況録音盤 ( この頃は LIVE 盤のことをこう呼んでいました ) の二枚組でした。日本ではそれぞれバラ売りにされましたが、私が買ったのは " 実況録音盤 ( MP-1417 ) " の方で、1750 円なり。収録 4 曲のうちの A 面 1 曲目 " CROSSROADS " は、レコードの溝がすりへるまで聴いていました。
見開きのジャケットを開くとショッキング・ピンクが目に飛び込んできます。
( ※ 画像内の白枠はこちらで追加したものです。 )
そこに書かれたタイトルは、

「 アート・ロック・シリーズ WHEELS OF FIRE / CREAM < LIVE AT THE FILLMORE > 」
■ クリームの素晴らしき世界 < フィルモア実況録音 >
( ※ 白枠で囲まれた部分を拡大したものを用意致しました。 こちら からどうぞ。 )
この音源についてはすっかりフィルモアのものと信じていました。" Winterland " という Bootleg を耳にするまでは ・・・・・。
レコーディングは 1968 年 3 月 10 日、サンフランシスコの 「 Winterland Ballroom 」 。
サブタイトルには " Outtakes & Original Mixes from Wheels Of Fire's Live Side "
とあります。 間違いなくあの名演 " CROSSROADS " が誕生したところです。
この頃の " Eric Clapton " は本当にカッコ良すぎですね。
( ※ ただし、全 4 曲のうち " Toad " のみ FILLMORE WEST におけるレコーディング )
( ※ このことについては 別ページ に詳しく紹介してあります。 )
これが私と " Eric Clapton " との出会いです。
そしてこのときから " ギター " という楽器が大好きになりました。



ところで学校生活の方ですが、中学 3 年のときにはじめてエレキギターを買い、友達の家で " バンドごっこ " のようなことをしていました。ほとんど練習ばかりでしたが、" The Ventures " から " Led Zeppelin " まで、ヴォーカルなしでさまざまな曲をコピーしていました。 その友達のお母さんにはずいぶん迷惑かけたかなって、今になって反省しています。

そういえばぜんぜん話が違いますが ──────
この年の夏 ( 1969年7月21日 - 日本時間 ) は " アポロ 11 号の月面着陸 " の中継で夜更かしをしてしまいました。
同時通訳 ( 通訳:西山千 氏 ( 1911 - 2007 ) ─ 日本翻訳家協会元理事長 ) を目の前で見せられたのも初めてでしたが、
何か、こう、世界中の人たちが同じ映像を見ているという、不思議な一体感のようなものを感じていました。
でも感動的だったなぁ ・・・・・・。

 

そのまま旭丘高校へ進んだわけですが、バンドをやっていた友達もみんな同じ学校になりました。学校では 2 年先輩の人たちが軽音楽部をつくって " Miles Davis " などのレパートリーをやっていましたが、" Rock " のできる部活は存在しませんでした。( 当時としては当たり前かも ? ) それで、自分たちが中心となって " 演奏部 " を立ち上げました。
どちらかといえば " 同好会 " なのですがー、まぁいいか ・・・・ 。
とにかく音楽の先生 ( 学校の校歌もつくったすごい先生です ) にかけあって、校舎 3 階の講堂を借りることができました。予算は特になく、" 放課後にステージと照明と電源を使ってもよい " という活動で、ギター、ドラムセット、アンプなどはすべて自前の持ち込み。ただ、あの頃は今と違って貸しスタジオなどあまり無く、タダでステージが使えるという幸福感に全員満足していたものです。

 


話は変わりますが、
先ほど、" Mamas and Papas " の動画のところで登場した " Monterey Pop Festival " について少し ・・・・・ 。
1967 年 6 月 16 日 〜 18日の三日間、サンフランシスコ近郊、カリフォルニア州モントレーにおいて、33 組のアーティストによって繰り広げられた野外コンサートで、プロモーターの Alan Pariser が前年に行われた " Monterey Jazz Festival "をヒントに、 " Mamas and Papas " の " John Phillips " と、プロデューサーの " Lou Adler " が中心となって実現しました。

20 万人以上の観客を動員し、当時、世界的にはまだ無名であった "
Janis Joplin " ( Big Brother & The Holding Company ) や " Jimi Hendrix " が一躍脚光を浴びることになったのは有名な話です。
また、当時大ヒットとなった " Scott McKenzie " の 「 花のサンフランシスコ 」 は " John Phillips " が " Monterey Pop Festival " のためのテーマ曲として作ったものです。
" Scott McKenzie " と " John Phillips " は、1961 年にデビューした " The Journeymen " という 3 人組のグループで一緒だったことがありますが、グループ解散後、 " John Phillips " は、妻の " Michelle Phillips " のほか、リードボーカルに " Denny Doherty " が参加して " The New Journeymen " を結成、さらに " Cass Elliot " が加わって " Mamas and Papas " が誕生したわけです。
( 上記の " Scott McKenzie " のサイトに " The Journeymen " のレコードジャケットが掲載されていて、若い頃 (?) の" Scott McKenzie " と " John Phillips " がご覧になれます。 )

ここで " Monterey Pop Festival " の出演者たちをあげてみましょう。

The Association * The Paupers * Lou Rawls * Beverly * Johnny Rivers * The Animals
Simon and Garfunkel * Canned Heat * Big Brother and the Holding Company * Country Joe and the Fish
Al Kooper * The Butterfield Blues Band * Quicksilver Messenger Service * Steve Miller Band * The Electric Flag
Hugh Masekela * The Byrds * Laura Nyro * Jefferson Airplane * Booker T. & the M.G.s * Otis Redding
Ravi Shankar * The Blues Project * The Group With No Name * Buffalo Springfield
Scott McKenzie * The Who * The Jimi Hendrix Experience * Grateful Dead * The Mamas & the Papas

この " Monterey Pop Festival " から二年後 ・・・・・、みなさん、" Wood Stock " ってご存知ですか ?
1969 年 8 月 15 日 〜 17 日の三日間、アメリカ・ニューヨーク郊外ベセルの丘で行なわれた史上最大のコンサートで、40 万人の若者が集まりました。
今では DVD も発売されているのでご覧になった方もいるかも知れませんね。
ここでその出演者たちをあげてみましょう。 ・・・・・ 皆さんはどれくらいご存知でしょうか ?

Richie Havens * Swami Satchidananda * Country Joe McDonald & The Fish * John Sebastian * Sweetwater
Incredible String Band * Bert Sommer * Tim Hardin * Ravi Shankar * Melanie * Arlo Guthrie * Joan Baez
Quill * Keef Hartley Band * Santana * Country Joe McDonald * Canned Heat * Mountain * Janis Joplin
Sly & the Family Stone * Grateful Dead * Creedence Clearwater Revival * The Who * Jefferson Airplane
Joe Cocker * Country Joe and the Fish * Ten Years After * The Band * Blood, Sweat & Tears * Johnny Winter
Crosby, Stills, Nash & Young * Paul Butterfield Blues Band * Sha-Na-Na * Jimi Hendrix
Neil Young joined Crosby, Stills & Nash

このコンサートの様子は 3 時間のドキュメント映画にまとめられ、翌 70 年に全米で公開されました。
そういえば、この映画のエンディングを飾る曲は " C, S, N, & Y " の " WOODSTOCK "。

Crosby, Stills & Nash の " Woodstock " ( Song by Joni Mitchell ) が流れる
映画 『 ウッドストック 』 ( 1970 ) の ENDING ( 3 分 40 秒 ) は こちら からどうぞ。


日本でも 8 月に封切となりましたが、映画館に 4 回も同じものを見にいった自分はちょっとヘンかも ・・・・・・ (?)
ただ、それまでは レコードのジャケット や MUSIC LIFE など、雑誌の " 写真 " でしか知らなかったアーティスト達が、映像で見れるわけですからワクワクもんなわけです。
すべてが素晴らしいものでしたが、中でも前年にデビューしたばかりの " Santana "、" Alvin Lee " の早弾きで有名だった
" Ten Years After "、ワイルドなステージに定評のあった " The Who "、(ギターを壊すアーティストがよくいますが、その先駆けといってもいいかも。) そして、空爆の音をギターで再現しながら、アメリカ国歌を演奏した " Jimi Hendrix " などが印象的でした。

とくに " Santana " ・・・・・。
そのときはじめて聴きましたが、" Soul Sacrifice " は最高だったなぁ ・・・ 。
とくに Wood Stock Music Festival 出演アーティストの中で最年少の Michael Shrieve ( 当時 19 歳 ! ) のドラムソロは圧巻で、あの " Black Magic Woman " の大ヒットを飛ばす前でしたので衝撃的でした。
この曲はインストゥルメンタルだったのでバンドでよくやったもんです。
その後、 " Santana " とは、1974 年 11 月 29 日 の札幌公演 ( 北海道厚生年金会館 ) ではじめて出会いました。

それと、ただひとつだけ残念なこと ・・・・・・ 。
それは映画が封切となって一ヶ月がたった昭和 45 年 9 月 18 日、あの " Jimi Hendrix " が、
薬の飲み過ぎが原因で、ロンドンの病院で 24 才という若さで本当に亡くなったこと。
翌日、朝刊の死亡記事で知りましたが、それを読んだときの " ショック " は今でも忘れていません。
以前、NHK - BS 2 で repeat された 第 3 回 ワイト島ポップ ・ フェスティバル のライブ・フィルムはこの年のもので、
彼が登場したのは最終日の 8 月 30 日 ( 実際には 24 時を過ぎた 31 日 ) 、亡くなる直前の姿です。
(最近、このコンサートの DVD をようやく GET !! しました)
とにかく、" Wood Stock " がこれからもずっと記憶に残りつづけることだけは確かです。
( " 第3回 ワイト島ポップ・フェスティバル " での Jimi Hendrix の演奏を写した動画を保存してあったものがありますので紹介します。
 曲は " ALL ALONG THE WATCHTOWER " 。ご存知の通り BOB DYLAN の名曲 (1967年)です。こちら からどうぞ。)


 

ところで、わが演奏部の活動の方はといえば、学校では毎年開成高校と定期戦が行なわれていましたので、文化系で参加したり、また学校祭で演奏したりしていました。

最後の部活動となる 3 年のときの学校祭では " John Mayall & The Bluesbreakers " のナンバーなどを演奏したのを覚えています。
このグループは一時 " Eric Clapton " が在籍したことでも有名ですが、
彼が " CREAM " 結成のためにグループを脱退したあと、何度かギタリストのメンバーチェンジが行なわれ、当時は " Mick Taylor " や " Peter Green " のものをよく聴いていました。
実は " Santana " の " Black Magic Woman " も " Peter Green " の作詞作曲です。
( 右のジャケットは当時くり返し聴いていたものです。" コンパクト盤 " という、33 1/3 r.p.m. で 4 曲入り 600 円のレコードですが、John Mayall がカッコいいですね。今となっては宝物です。1969 年発売。 guitar は、1 曲目が " Mick Taylor " 、2 曲目が " Peter Green " )

あとはそのまま卒業をむかえ、また憧れだった Gibson 社製のレスポールをやっと手に入れて、趣味で続けていました。

そういえば高校を卒業した昭和 48 年頃は、札幌市内でも " ロック喫茶 " がはやっていました。さすがに " ジャズ喫茶 " では " Bb "、" ジャマイカ "、" act " などがすでに人気を得ていましたが、ロック喫茶はこの頃からだったような気がします。
予備校生だった私ですが音楽好きは相変わらずで、" Rock House "" 祐天堂 "" ぽっと " など、今考えてみれば、あきもせずによく通ったもんだ !! ( 予備校より熱心だったかも !? " Rock House " の名取さん、" 祐天堂 " の近藤さん、・・・・・・ などなどお元気でしょうか。 その節はいろいろとお世話になりました。)
あの頃に比べて、現在、そういった店は皆無。音楽ファンとしてはちょっと寂しいです。

一番近いところでは、いきつけの " IN ROCK CAFE " かなぁ。 ^^ ;
( 札幌市中央区大通西 16 丁目 メゾンエクレーレ 1F TEL 011 - 614 - 7999 )
しばらくぶりで店の紹介ページを RENEWAL しました。( 私の自己責任で制作 ・更新をしています )
本当にオススメの SPOT です。詳しくは こちら からどうぞ。
 
   
最近、物置からマッチの箱が出てきました。ちょっと懐かしかったので載せてみましたが ・・・・・ 。
まぁそんなわけで一浪ののち北海学園大学にいきますが、だんだん演奏からは遠のいて、もっぱら聴くだけになっていきました。大学の方は無難にこなして ・・・ (^^ゞ ・・・ 就職しましたが、景気がよくなかったのでたいへんでした。

そう言えば大学卒業の年、1978 年 1 月 27 日 ・・・ 。
中島スポーツセンターでの " Ritchie Blackmore's Rainbow " コンサートでは悲惨な事故が ・・・・・ 。
北星女子短大一年の女の子がステージ下に殺到した観衆の下敷きになって亡くなり、翌日の新聞には一面 TOP 記事として掲載されました。群集心理というものの怖さを実感した悲劇でした。
( 後日、Ritchie Blackmore は遺族に対して 500 万円の見舞金を送ったとか。)
あの事故以来、中島スポーツセンターではコンサートが開催されなくなり、その建物も今は取り壊され、道立スポーツセンターとして豊平区に移転しています。

就職は東京南青山にある総合建設会社でしたが配属は横浜支店勤務。
生まれて初めて北海道を出て生活をすることになりましたが、" 何事も慣れかなー " って感じがします。
その後事情があって会社を辞め、地元に戻って専門学校の教員を 25 年間ほどやりましたが、
建設業界の不景気のあおりを受けて学生も集まらず、学校は閉校。
( この間に絵葉書との出会いがありました。)

その後不本意ですが、それまでの経験とはまったく関係のない仕事に就き、現在に至っています。
( どなたか教育・文化に関係のある仕事をご紹介頂けませんでしょうか。真面目な話です。)

演奏することこそなくなりましたが、音楽好きは相変わらずで、" Eric Clapton " 命って感じです。
それも病み上がりでカムバックした " Rainbow concert " ( 1973 年) の頃までの限定で。
一番好きな曲は何と言っても " CROSSROADS " 。
Bootleg も含めると相当数のバージョンが存在しますが、自分としては、やはりオフィシャルともなっている
1968 / 3 / 10 の San Francisco / Winterland のテイクが最高です。 (^^)v
CD のまだなかった時代、文字通りレコードが磨り減るまで聴いてコピーした頃が懐かしいです。
ただ、" Clapton " 自身とその曲の生まれた背景を考えると、
" Layla " は絶対に無視することができず、H ・ N にも使っています。
( 上の " Layla " は、曲の誕生するきっかけとなった " Pattie Boyd " のサイトにリンクしています )
( また、H ・ N も本当は " layla " を get したかったのですが、当然のことながら既に無く、名前の頭文字をつけて " s.layla " としました )
つい最近まで、M 自動車の CM でさかんに流されていましたが、いつまでも使ってもらいたいものです。
今のクラプトンもそれなりにいいんですけどね・・・・・・。
E・Clapton のギター競売については こちら からどうぞ
洋楽についてのもう少し突っ込んだ話は こちら からどうぞ





少々長くなってしまいましたが、私の自己紹介を、音楽の話を中心にまとめてみました。
よく思い出せない部分があったり、話が片寄ったりしてますが、そのへんはご容赦ください。  m( _ _ )m
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