※ 本編には掲載されていない絵葉書です。画像、タイトルをクリックすると拡大して見ることができます。
File Index   項目の後の ( ) 内は掲載更新時の年月です
File 及び 項目名が  この色  のものにつきましては、
リンク ・ 企業 CM ・ TV 取材 ・ 出版物等々で 「 絵葉書の世界 」 より画像提供などの協力をさせて頂いたものです。
あらためまして御礼を申し上げます。
なお、協力させて頂いた出版物に関しましては該当図書の表紙を別ページで紹介しています。  こちら  からどうぞ。
また、ホームページ、ビデオ、各種論文、自費出版などで個人の使用に限られたものにつきましては省略してあります。
 # 075  「旧開拓使工業局庁舎」 (25-06)  # 076  よみがえった襖絵展 (25-12)  NEW !!
 # 073  「sapporo 駅前十街区」 (24-08)  # 074  登録有形文化財 1 件 (25-01)
 # 071  日本除雪機製作所 (24-05)  # 072  旧相馬邸 (24-05)

 # 069  登録有形文化財 1 件 (24-01)  # 070  登録有形文化財 2 件 (24-05)
 # 067  140 年前の写真師 (22-11)  # 068  登録有形文化財 1 件 (23-07)
 # 065  最近の新聞記事から ・・・ (22-11)  # 066  ラッセル車 (22-11)
 # 063  「旧沼田家倉庫」 (22-08)  # 064  最近の新聞記事から ・・・ (22-09)
 # 061  火の見櫓 地域を見つめる安全遺産 (22-07)  # 062  登録有形文化財 8 件 (22-07)

 # 059  浦河測候所 廃止 (21-10)  # 060  根室測候所 廃止 (21-12)
 # 057  新日鉄室蘭 100 周年 (21-08)  # 058  道内百貨店 閉店二題 (21-10)
 # 055  登録有形文化財 2 件 (21-07)  # 056  重要文化財 正行寺本堂 (21-07)
 # 053  季刊・札幌人 (21-01)  # 054  景観重要建造物 (21-03)
 # 051  小樽日報社 (20-11)  # 052  登録有形文化財 1 件 (20-12)

 # 049  箱館奉行所 (20-10)  # 050  最近の新聞記事から (20-10〜11)
 # 047  理研・大地みらい信金・北大鉄道研究会 (20-08)  # 048  登録有形文化財 1 件 (20-09)
 # 045  都市景観重要建築物 (20-04)  # 046  ラビスタ函館ベイ (20-04)
 # 043  旧越中屋ホテル (20-01)  # 044  三菱一号館 (20-03)
 # 041  札幌市営交通 80 周年 (19-12)  # 042  登録有形文化財 2 件 (19-12)

 # 039  大谷派函館別院 重文指定へ (19-10)  # 040  市立函館博物館五稜郭分館閉館 (19-12)
 # 037  宣教師ニコライ (19-05)  # 038  登録有形文化財 1 件 (19-06)
 # 035  函館市公民館 ( 旧 函館市青年会館 ) (19-01)  # 036  登録有形文化財 2 件 (19-03)
 # 033  「THE JR Hokkaido」 (19-01)  # 034  赤レンガの東京駅 開業時の姿に (19-01)
 # 031  登録有形文化財 2 件 (18-09)  # 032  旧函館検疫所 台町措置場を再利用 (18-10)

 # 029  札幌市資料館 11 月 3 日全面オープン (18-08)  # 030  旧三菱銀行小樽支店が新名所に (18-09)
 # 027  「小樽海港博覧会」のガラス乾板 発見 (18-06)  # 028  登録有形文化財 20 件 (18-06)
 # 025  旧日本郵船小樽支店 建築 100 年 (18-04)  # 026  「翼の王国」 と 望楼 NOGUCHI 登別 (18-05)
 # 023  市民会館 来春解体 (18-02)  # 024  未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 (18-02)
 # 021  登録記念物 ( 名勝地 ) 第一号 (17-11)  # 022  JR 小樽駅 登録有形文化財に (18-01)

 # 019  ニッカ工場 (続報) (17-02)  # 020  登録有形文化財 5 件 (17-03)
 # 017  Playground Club (17-02)  # 018  「おはよう ! 遠藤商店」 (17-02)
 # 015  ニッカ工場 登録有形文化財に指定 (16-12)  # 016  歴史的建物 「第二の人生」 (17-01)
 # 013  「旧板谷邸」 を再生利用 (16-11)  # 014  札幌市水道記念館 全面改修 (16-12)
 # 011  「北海道遺産」 第2回選定 (16-10)  # 012  旧末広町分庁舎 (16-11)

 # 009  大正時代の法廷復元へ (16-08)  # 010  遺愛学院本館 重文指定へ (16-10)
 # 007  旧函館検疫所 台町措置所 (16-01)  # 008  北大交流プラザ「エルムの森」 (16-06)
 # 005  丸一本間家 (15-10)  # 006  冨貴堂 (15-10)
 # 003  北海道遺産の旅 (15-10)  # 004  薄荷 (15-10)
 *増刊号*  薬膳カリィ本舗 TONZI (15-09)    
 # 001  日本銀行旧小樽支店 金融資料館 OPEN (15-05)  # 002  ニュー北海ホテル 営業終了 (15-06)


File #076 よみがえった襖絵展 (H25.12) BACK
平成 25 年 10 月 3 日 〜 11 月 27 日の間、北海道立釧路芸術館 ( 釧路市幸町 4 - 1 - 5 ) では、
「 開館 15 周年記念 重要文化財 「 正行寺 」 よみがえった襖絵展 」 が開催されました。
開館15周年記念 重要文化財「正行寺」よみがえった襖絵展 図録表紙
この展覧会に際して、「 絵葉書の世界 」 から "厚岸 4/6 (厚岸名所) 湯殿山ヨリ真龍ヲ望ム"
の絵葉書画像を提供させて頂きました。
この絵葉書は、File # 056 重要文化財 正行寺本堂 (21-07)でも報告させて頂いていますが、
『 重要文化財 正行寺本堂保存修理工事報告書 』 (財)文化財建造物保存技術協会 編著
で提供させて頂いた三枚の絵葉書の一枚です。
「 よみがえった襖絵展 」 では会場内でパネルとして掲示されました。
厚岸 4/6 (厚岸名所) 湯殿山ヨリ真龍ヲ望ム
( 中央に写っている入母屋屋根の大きな建物が正行寺本堂 )
これからも「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。
(H25.12)

BACK






File #075 「旧開拓使工業局庁舎」 (H25.06) BACK
 5 月 18 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会は、17 日、札幌市厚別区の「 旧開拓使工業局庁舎 」を重要文化財 ( 重文 ) に指定するよう、下村博文 文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されていました。

「 旧開拓使工業局庁舎 」は開拓使の庁舎の中で唯一現存している建物で、 1873 ( 明治 6 ) 年に設置された開拓使工業局の諸工場を管理する事務所として、1877 ( 明治 10 ) 年、現在の札幌市中央区大通東2丁目に建てられました。1890年ごろから何度も所有者が変わりましたが、1969年に土地を取得した北海道中央バスによる解体工事の計画をきっかけに保存の機運が高まり、1979年に現在の北海道開拓の村に移築されました。
開拓使工業局庁舎 ( 武林盛一 北海道大学附属図書館北方資料室 所蔵 )
ところで、札幌には解体の危機を乗り越えて重要文化財となった建物がもうひとつありました。
現在、愛知県犬山市の博物館明治村に移築されている札幌電話交換局の建物です。
絵葉書の世界では、竣工からそれほど年を経ていない頃の札幌電話交換局の建物を題材とした絵葉書を紹介しています。 [ 札幌 #05-125 ]
[ 札幌 #05-125 ] ( 札幌區 ) 電話交換局
1898 ( 明治 31 ) 年、大通西2丁目に竣工しましたが、昭和 37 年に解体保存され、昭和 40 年には「 博物館明治村 」に移築復元、1968 ( 昭和 43 ) 年に重要文化財に指定されました。

なお、道内の重要文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 26 件となり、
今後、官報の告示を経て正式登録となる見込みです。(H25.06)

BACK






File #074 登録有形文化財 1 件 (H25.01) BACK
昨年の話になってしまいましたが ・・・・・ 、

 12 月 15 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 宮田亮平 会長 ) は、14 日、旭川市の 「 旧岡田邸 」 の 主屋 ・ 蔵、「 山崎家住宅主屋 」 及び 稚内市の 「 旧瀬戸家住宅主屋 」 の計 4 件を登録有形文化財に指定するよう、田中真紀子 文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されていました。

中でも 「 旧岡田邸 」 は、清酒 " 北の誉 " を製造していた故 岡田重次郎氏の邸宅で、
主屋と蔵はともに 1933 ( 昭和 8 ) 年に建てられました。
2012 年( 平成 24 年 )4 月からは、
「 蕎麦と日本料理 おかだ紅雪庭 」 ( 旭川 5 条通り 16 丁目 TEL 0166-22-5570 ) として活用されています。
詳しくは公式 HP
http://okadatei.jp/ でどうぞ。

なお、道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 133 件となり、
今後、官報の告示を経て正式登録となる見込みです。(H25.01)

BACK






File #073 「 sapporo駅前十街区 」 (H24.08) BACK
 8 月 15 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 フリーペーパー 「 sapporo駅前十街区 」 創刊 ─── 地図も作製 店舗、周辺の歴史紹介 】
という記事が掲載されていました。
2011 年( 平成 23 年 )3 月 12 日に開通した札幌駅前通地下歩行空間 ─── 。
その管理運営などを行なっている 「 札幌駅前通まちづくり株式会社 」が市内中心部の駅前通地上部の魅力を発信するフリーペーパー 「 sapporo駅前十街区 」 を創刊したとのこと。札幌駅前通沿いの北 4 条から北大通までの東西 10 区画について店舗及び施設情報のほか、周辺の歴史も解説しています。

詳細は、札幌駅前通まちづくり株式会社HP 
http://www.sapporoekimae-management.jp/ をご覧下さい。
なお、配布場所などの最新情報は同社の facebook でどうぞ。
フリーペーパー 「 sapporo 駅前十街区 」
B 5 判 12 ページ 2 万部作成 詳細 MAP は A 3 判で 4 万部作成
配布場所は北 3 条交差点広場(東)、北2条交差点広場(西)ほか。 発行回数は年 4 回を予定。
「 絵葉書の世界 」 では札幌駅前通 ( 停車場通り ) に関連する絵葉書を多数公開していますが、
今回の News に合わせてここで一部を紹介致します。(H24.08)
 
札幌停車場の景   札幌停車場通りの腑瞰
     
 
停車場通鐵道倶樂部前 ( 札幌 )   札幌停車場近傍ノ景
     
 
旅舘山形屋 ( 札幌 )   ( 札幌 ) 停車場通り
     
 
停車場通り ( 札幌 )   札幌グランドホテル
     
 
市廰舎竣工記念 廰舎全景   札幌停車場通

BACK






File #072 旧相馬邸 (H24.05) BACK
 5 月 11 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
【 屋根裏に函館大火の爪痕 豪商の私邸・旧相馬邸 一般公開始まる ・・・ 】
という記事が掲載されていました。
明治を代表する函館の豪商・相馬哲平 ( 1833 〜 1921 ) の私邸 「 旧相馬邸 」 ( 函館市元町 ) の屋根裏に、1921 ( 大正 10 ) 年の函館大火の痕跡が見つかり、11 日から一般公開が始まった ─── というもの。
「 旧相馬邸 」 は 1908 ( 明治 41 ) 年の建築で、木造一部二階建て、延べ 680 平方メートル。
函館市の伝統的建造物にも指定されていて、2010 年 6 月から観光施設として公開されています。

「 絵葉書の世界 」 では、1921 ( 大正 10 ) 年 4 月 14 日の函館大火に関する絵葉書を計 19 枚公開中です。
# 088 四月十四日凾館大火 商業學校焼跡及公會堂方面を望む ( 大正十年四月凾館要塞司令官許可濟 )
上に掲げた # 088 の絵葉書は大正 10 年 4 月 14 日の函館大火における絵葉書の中の一枚で、
函館商業学校の焼跡 ( 手前 ) 及び公会堂方面を望んだものですが、
左上に見えているのが函館区公会堂、右上に見えているのは函館支庁々舎で、
旧相馬邸は、この絵葉書では函館支庁々舎の右手前あたりに建っていました。

この絵葉書の大きなサイズのものを用意致しました。
こちら からどうぞ。

なお、大正 10 年大火のほかの絵葉書については、TOP ページ または MAIN ページから入ってご覧下さい。
(H24.05)

BACK






File #071 日本除雪機製作所 (H24.05) BACK
札幌に本社を置く除雪機械の専門メーカー 「 株式会社 日本除雪機製作所 」 ─── 。
同社は平成 24 年 4 月 24 日に創立 50 周年を迎えましたが、
このたび、それを記念して 『 創立 50 周年記念社史 じょせつき 』 を刊行致しました。

「 絵葉書の世界 」 から、
同書 第一章 創業者の理念と当社の起源 / 第五節 日本の除雪機械の起源 / 鉄道の除雪機械 の中で、
「 最新式排雪汽鑵車 」 [ Mini Album - File #002 「雪景色」- # 001 札幌 - 札幌 # 001 ]
の画像を採用して頂きました。( ※ News - File #066 ラッセル車 でも前出 )
これからも 「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。(H24.05)
最新式排雪汽鑵車 北海道ニ於テ冬期除雪ニ用ユ最新式排雪汽鑵車 ( 先頭ノ尖部ヲ以テ雪ヲ跳孑ツヽ進行ス )

BACK






File #070 登録有形文化財 2 件 (H24.05) BACK
 4 月 21 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 宮田亮平 会長 ) は、20 日、網走市の 「 博物館網走監獄 」 の庁舎や独居房など施設 7 棟と、札幌市豊平区のリンゴ倉庫 2 棟を登録有形文化財に指定するよう、平野博文 文部科学相に答申 ・・・ 】
という記事が掲載されていました。
同博物館では 2005 年に 「 教誨堂 」 ・ 「 五翼放射状舎房 」 ・ 「 二見ケ岡農場 ( 泊まり込み作業場 ) 」の 3 棟が登録有形文化財に指定されています。 ( File #020 で前出 )

「 博物館網走監獄 」 の庁舎 ※1 と独居房 ※2 はともに 1912 ( 明治 45 ) 年に建築され、明治時代の刑務所施設としての希少価値が評価されています。庁舎と独居房のほかに今回答申されたのは、裏門 ※3 - 1919 ( 大正 8 )、鏡橋入口哨舎 ※4 ・ 鏡橋出口哨舎 ※4 ・ 西門哨舎 ※4 ・ 裏門哨舎 ※4 - 以上 1912 ( 明治 45 ) 。
( ※ 1 昭和 63 年移築 ※ 2 平成 3 年移築 ※ 3 平成 7 年移築 ※ 4 平成 4 年移築 )

また、札幌市豊平区のリンゴ倉庫は、
沼田家住宅 旧第二りんご倉庫 - 1953 ( 昭和 28 ) 及び 柳田家住宅 旧りんご蔵 - ( 大正後期 ) の 2 棟。
いずれも煉瓦造の建物です。
沼田家住宅のりんご倉庫は 2006 年に 1 棟が登録有形文化財に指定されています。 ( File #031 で前出 )
( ※ File #063 の 「旧沼田家倉庫」 は同名ですが全く別のものです )

絵葉書の世界では [ 道内各市町村 # 03 ─ 網走 3 / 9 網走刑務所正門 ] ( 下掲 ) として一枚のみ紹介していますが、この正門の奥に見えているのが網走刑務所庁舎 ( 現 博物館網走監獄庁舎 ) です。
網走 3 / 9 網走刑務所正門
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 129 件となり、
今後、年度内には官報の告示を経て正式登録となる見込みです。(H24.05)

BACK






File #069 登録有形文化財 1 件 (H24.01) BACK
昨年の話で恐縮ですが ・・・・・ 、

 12 月 10 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 西原鈴子 会長 ) は、9 日、函館市の 「 高龍寺 」 を登録有形文化財に指定するよう、中川正春 文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されていました。

「 高龍寺 」 は、明治30年代から昭和初期にかけて建築された曹洞宗の寺院で、1899 ( 明治 32 ) 年に建てられた入母屋造りの本堂のほか、開山堂 ・ 山門と袖塀 ・ 防火塀 ・ 金毘羅堂 ・ 水盤舎 ・ 鐘楼 ・ 宝蔵 ・ 位牌堂 ・ 土塀 の登録が答申されました。
絵葉書の世界では [ 函館 # 03 ─ # 062 台町 高龍寺本堂 ] として一枚のみ紹介していますが、そのほかにも二枚ありますので、ここで掲載いたします。
( 一枚目の [ 凾舘區 高龍寺 本堂 ] は前出のものと同様のアングルですが、人物の写っていないものです。)
凾舘區 高龍寺 本堂
 
凾舘區 高龍寺 山門
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 120 件となり、
今後、年度内に官報の告示を経て正式登録となる見込みです。(H24.01)

BACK






File #068 登録有形文化財 1 件 (H23.07) BACK
 7 月 16 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 西原鈴子 会長 ) は、15 日、夕張市の 「 夕張鹿鳴館 ( 旧 北炭鹿ノ谷倶楽部 ) 」 を登録有形文化財に指定するよう、高木義明 文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されました。

「 夕張鹿鳴館 ( 旧 北炭鹿ノ谷倶楽部 ) 」 は、1913 ( 大正 2 ) 年、北炭 ( 前身は、明治 22 年設立の北海道炭礦鉄道会社、明治39年に北海道炭礦汽船鰍ノ社名変更 ) が来賓客の接待や社交場として建築。
敷地面積 85330 u、延床面積 約 1500 u で、本館のほか東西の別館 ( 東側別館は 1916( 大正 5 )年、西側別館は 1919( 大正 8 )年の増築 ) から構成され雁行型に配置されています。
1984 ( 昭和 59 年 ) 年に夕張市が北炭から買収しましたが、財政破綻によって 2009 ( 平成 21 ) 年に小樽の廃棄物処理会社に無償譲渡され、現在はレストラン及び宿泊施設として利用されています。
なお 「 絵葉書の世界 」 でも紹介済みですが、
2001 年 10 月 22 日には 「 北海道遺産 」 ( 空知地域に残る炭鉱関連施設群 ) 、2007 年 11 月 30 日には経済産業省より 「 近代化産業遺産 」 ( 夕張炭田関連遺産 ) として認定されています。
詳しくは 「 夕張鹿鳴館 」 公式サイト 
http://www.yubari-rokumeikan.com/ をご覧下さい。

道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 110 件となり、
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H23.07)

BACK






File #067 140 年前の写真師 (H22.11) BACK
 11 月 19 日付 「 北海道新聞 」 朝刊 「 現代かわら版 」のコーナーに、
「 小学生が追う 140 年前の写真師の足跡 撮って比べて札幌今昔 」 という記事が掲載されました。

札幌市内で今月 9 日、
札幌市立札幌小学校の 6 年生 40 人が参加して 「 写真でつづる札幌 」 撮影会が開催され、
明治初期に開拓使の依頼で事業記録の撮影を行なった三人の写真師、田本研造・武林盛一・スティルフリードの足跡をたどったというもの。
絵葉書の世界では、二年ほど前になりますが、Close up File # 016 「 武林写真館 」 で
田本研造 及び 武林盛一について触れておきました。
開拓使札幌本庁舎 ( 明治 6 年 武林盛一 撮影 北海道大学附属図書館北方資料室 所蔵 )
ところで、先ほど登場した 「 札幌小学校 」 、名前がスゴイ!と思いませんか。
人口 190 万人を擁する大都市 " 札幌 " の名前のついた小学校 ─── 。
その歴史の古さには驚くばかりで、校名の由来は開校当時の地名 「 札幌村 」 ( 1955年 札幌市に合併 ) から。
詳しくは、札幌小学校の
公式サイト で。
(H22.11)

BACK






File #066 ラッセル車 (H22.11) BACK
 11 月 11 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
「 雪との闘い 準備は着々 」 という記事が掲載されていました。
本格的な積雪シーズンを前に、JR 北海道旭川運転所でラッセル車の整備作業が進んでいるというもの。
同運転所には国鉄時代から使われている DE15 型ラッセル車 13 台が配置されていて、南は長万部から北は稚内までの豪雪地帯で運用されるそうです。

絵葉書の世界では、Mini Album File #002 「雪景色」 ─ 札幌 # 001 で
「 最新式排雪汽鑵車 」 として当時のラッセル車を紹介しています。
(H22.11)

BACK






File #065 最近の新聞記事から ・・・ (H22.11) BACK
@ 10 月 16 日付 「 北海道新聞 」 朝刊の 『こだま』 欄に、
「 おかっぱ頭にセーラー服の携帯ストラップ ・・・ 」 という記事が掲載されていました。
「 札幌大谷高校同窓会 」 が発足 100 周年を記念して、
身長 10 センチのリカちゃん人形の携帯ストラップを 5000 体作ったというもの。
共学化によって 3 月に廃止になった「 思い出の制服 」 を残そうと株式会社タカラトミーに制作を依頼し、
同窓生など関係者限定で販売中とのこと。詳しくは、
公式サイト で。
なおセーラー服以前の服装については、
What's New のページ上部 インライン・フレーム内 " 03 北海高等女学校 " をご覧下さい。

A 11 月 8 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
『 豊平館 130 周年 アートで祝う 』 という見出しで記事が掲載されていました。
国の重要文化財である豊平館が 11 月 12 日に創建 130 周年を迎えるそうで、
それを記念して 19 日まで、音楽コンサート、生け花展などのさまざまな行事が行われるというもの。
時計台とともに明治初期からの札幌の生き証人としてますます磨きがかかる両横綱には
いつまでも現役として頑張ってもらいたいものです。
(H22.11)

BACK






File #064 最近の新聞記事から ・・・ (H22.09) BACK
@ 7 月 29 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
『 幕末の姿そのままに 箱館奉行所公開 』 という見出しで記事が掲載されていました。
函館市が文化庁と北海道の補助を受けて 2006 年から行っていた復元工事が 6 月に竣工し、
7 月 29 日から一般公開が始まったというもの。総工費は約 27 億円。
箱館奉行所は幕府により 1864 ( 元治元 ) 年に五稜郭の中に建てられましたが、
明治政府により 1871 ( 明治 4 ) 年に解体されていました。絵葉書は、このページの
#049 でも掲載しています。
詳しくは、公式サイト http://www.hakodate-bugyosho.jp/ をご覧下さい。

A 8 月 13 日付 「 讀賣新聞 」 朝刊に、
『 小樽駅舎 若返り計画 2012 年春 建設当初の姿に改装 』 という見出しで記事が掲載されていました。
1934 ( 昭和 9 ) 年に建設され、2006 年に国の登録文化財にも選ばれている現在の JR 小樽駅舎を、
耐震補強工事にあわせて建設当初の姿に改装するというもの。
今回の改修では建設当時、左右対称だった姿に復元する予定で、2012 年春に完成の予定です。
絵葉書は、このページの #022 に掲載しています。 ( 本編には昭和 9 年の駅舎は収録されていません )

B 9 月 17 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
『 王子製紙苫小牧工場 100 年 』 という見出しで記事が掲載されていました。
王子製紙苫小牧工場が 1910 ( 明治 43 ) 年 9 月に苫小牧村で操業を開始して、
9 月 12 日で 100 年となったというもの。
王子製紙は 1873 ( 明治 6 ) 年 2 月に渋沢栄一らが設立した国内初の製紙会社 「 抄紙会社 」 が母体で、
1876 ( 明治 9 ) 年に 「 製紙会社 」 、さらに 1893 ( 明治 26 ) 年 10 月には 「 王子製紙 」 と社名を改称して現在に至っています。
絵葉書は、道内各市町村 #10 - 苫小牧 6/8 及び 苫小牧 7/8 に掲載しています。
(H22.09)

BACK






File #063 「旧沼田家倉庫」 (H22.08) BACK
 7 月 28 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
『 旧沼田家倉庫 景観資産に 』 という見出しで記事が掲載されました。
札幌市が市内東区東苗穂 5 条 2 丁目 11 - 18 の 「 旧沼田家倉庫 ( 現・豆藏珈房 宮田屋東苗穂店 ) 」 を、
建造物や樹木など歴史的な景観を保存する 「 札幌景観資産 」 に指定したというもの。
市の景観資産はこれで 28 カ所目となります。
同建物は 1962 ( 昭和 37 ) 年の建築。
沼田家所有の軟石造平屋倉庫で、1982 年までタマネギ倉庫として使用されていました。
7 月 21 日付けで 「 札幌景観資産 」 への指定が告示されましたので、
「 札幌景観資産 」 のリストに追加致しました。TOP ページからどうぞ。
(H22.08)

BACK






File #062 登録有形文化財 8 件 (H22.07) BACK
 7 月 17 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 西原鈴子 会長 ) は、16 日、
小樽市の 「 旧青山家別邸 」の建物 3 件、札幌市中央区の 「 黒田家住宅 」の建物 4 件 及び
帯広市の 「 双葉幼稚園園舎 」を登録有形文化財に指定するよう、川端達夫文部科学相に答申・・・ 】
という記事が掲載されました。

「 旧青山家別邸 」 では、" 主屋 " ・ " 文庫藏 " ・ " 板塀 " が対象で、
いずれも 1923 ( 大正 12 ) 年に建築されたもの。主屋の内部には春慶塗が施され、
文庫藏などの屋敷構えなどからも往時のニシン漁の繁栄を身近に感じることができます。
「旧青山家別邸」 http://www.otaru-kihinkan.jp/index.shtml
一方、「 黒田家住宅 」 は、1924 ( 大正 13 ) 年建築の母屋 及び 1926 ( 昭和 1 ) 年建築の " 藏 " ・ " 表門 " ・ " 石塀 " が対象で、藏は当時としては珍しいコンクリートブロック造の建物。

また、「 双葉幼稚園園舎 」 は 1922 ( 大正 11 ) 年の建築で、来年には創立 100 周年を迎えますが、
園舎は二代目園長 臼田梅による設計で、八角形の遊戯室とドーム型の屋根が特徴となっています。

道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 109 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。
(H22.07)

BACK






File #061 火の見櫓 地域を見つめる安全遺産 (H22.07) BACK
先日、建築図書の大手出版社 鹿島出版会より 『 火の見櫓 地域を見つめる安全遺産 』 が刊行されました。
[ A5判上製 176頁 定価2,730円 ( 本体2,600円+税 ) ]
「 火の見櫓からまちづくりを考える会 」 の編集で、以下のような内容となっています。
   1 りりしい立ち姿
      見守りのかたち/消防団の歴史と火の見櫓/火の見櫓の建て方

   2 半鐘の聞こえる集落
      火の見櫓のある場所/半鐘のサウンドスケープ/立地と類型/見直される半鐘

   3 手仕事のエンヂニヤリング
      手仕事のタイポロジー/消防署と屯所の望楼/高さと早さと安全の構造デザイン/火の見櫓と鉄工所

   4 火の用心の教え
      火の見櫓の民俗誌/防災力とコミュニティ/銘板は語る/生活単位の象徴

   5 小さな安全遺産
      地域遺産としての火の見櫓/「火の見単位」という安心/滅失過程とタイムラグ/よみがえる記憶、つくられる記憶
「 絵葉書の世界 」 から、
同書の 「 3 手仕事のエンヂニヤリング 」 " 消防署と屯所の望楼 " で、
「 札幌消防本部望楼 」 [ 札幌 #05 #119 ] の画像を採用して頂きました。
これからも 「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。
(H22.07)

BACK






File #060 根室測候所 廃止 (H21.12) BACK
つい先日、毎年春に発表していた桜の開花予想を来年から取りやめると発表した気象庁 ─── 。
前回の File で、浦河測候所の廃止を取り上げたばかりですが ・ ・ ・ ・ ・ ・

 12 月 29 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 根室測候所 廃止 ─ 来年 10 月 】 という記事が掲載されました。
" 気象庁は 28 日、全国 8 カ所の測候所のうち、根室など 6 カ所を来年 10 月 1 日で廃止し、機械による自動観測に切り替えると発表 ・・・・・ " というもので、残る帯広 ( 十勝管内 ) と名瀬 ( 鹿児島県 ) の二つの測候所は管轄地域の広さなどから存続させるとのこと。

このたび閣議決定された政府予算案にともなうもので、
来年の 10 月 1 日に 「 特別地域気象観測所 」 に移行されて無人化されるのは、
根室のほか、若松測候所 ( 福島県 )、千葉測候所 ( 千葉県 )、御前崎測候所 ( 静岡県 )、輪島測候所 ( 石川県 )、山口測候所 ( 山口県 ) の 5 カ所です。

「 絵葉書の世界 」 では、
[ 道内各市町村 #12 / 根室 16/22 ] で " 根室測候所 及び 警察署 " を紹介しています。
(H21.12)
道内各市町村 #12 / 根室 16/22 根室測候所 及び 警察署
※ 「 気象庁 ─ 根室測候所 」 の HP ( http://www.jma-net.go.jp/nemuro/index.html ) では サイトマップ内の Link で " 根室測候所の沿革 " を公開していますが、その中から 「 絵葉書 ─ 根室 16/22 」 の二代目測候所ができる頃までの部分を抜粋して以下に掲載しておきます。
明治  5 年 函館に日本最初の気候測量所 ( 現 函館海洋気象台 ) 設立
    8 年 東京気象台 ( 現 気象庁 ) 設立
    9 年 札幌測候所 ( 現 札幌管区気象台 ) 設立
   12 年 根室気候測量所 ( 現 根室測候所 ) 設立
        ( 根室国根室郡根室松ヶ枝町1丁目10番地の開拓使根室支庁敷地で1日3回の観測を開始 )
   14 年 北海道東方沖地震 ( 根室の震度5 )   
   15 年 根室県根室測候所と改称
   19 年 北海道庁 ( 根室支庁 ) 所管となる
        松ヶ枝町から花咲町6丁目1番地 ( 現在地 ) に庁舎新築移転 ( 二代目庁舎 )

BACK






File #059 浦河測候所 廃止 (H21.10) BACK
ちょっと古い話になってしまいましたが、気象庁が 6 月 5 日に発表した 「 全国 10 ヵ所の測候所を 10 月 1 日で廃止し自動観測に切り替える 」 という話 ・・・・・ 。道内では浦河測候所 ( 日高管内浦河町 ) がその対象となりました。2006 年、気象庁は測候所を原則的に廃止するという方針を決定し、全国に 46 ヵ所あった測候所の無人化を進めてきましたが、今回の廃止で道内は帯広・根室の二ヶ所のみとなります。
なお、浦河測候所の廃止にともない、その名称も 「 浦河特別地域気象観測所 」 となりました。
「 絵葉書の世界 」 では [ 道内各市町村 #04 / 浦河 10/10 ] で " 浦河測候所 " を紹介しています。
(H21.10)
道内各市町村 #04 / 浦河 10/10 浦河測候所
※ 「 旧浦河測候所 」 の HP コンテンツは 10 月末まで継続して公開中とのことですが、その中から同測候所の沿革に関する部分を以下に掲載しておきます。
大正 15 年 12 月  3 日 北海道庁により浦河郡浦河町潮見町42番地に浦河測候所設置が告示される
昭和  2 年  1 月  1 日 業務開始(気象観測及び天気予報)
    5 年  6 月  1 日 地震観測開始
   13 年 10 月  1 日 国営に移管
   15 年  3 月  1 日 沿岸海洋観測開始   
   25 年  7 月  1 日 指定地区予報区担当官署となる
   29 年 12 月 20 日 新庁舎完成
   42 年  4 月  1 日 農業気象業務開始
   52 年 11 月  1 日 地域気象観測所運用開始
平成  8 年  2 月  1 日 新庁舎で業務開始
    9 年  3 月  1 日 指定地区予報区担当官署から分担気象官署に名称変更
   10 年  3 月  1 日 官署積雪計運用開始
   14 年  3 月 31 日 分担解除に伴い天気予報、警報・注意報の作成・発表を室蘭地方気象台へ集約

BACK






File #058 道内百貨店 閉店二題 (H21.10) BACK
 7 月 20 日の 「 丸井今井旭川店 」 、9 月 30 日の 「 札幌西武 」 。
北海道を代表する二つの老舗百貨店が相次いで閉店しました。
1897 ( 明治 30 ) 年に開店した 「 丸井今井旭川店 」 は 112 年の歴史に、北海道初のデパート 「 五番舘 」 として 1906 ( 明治 39 ) 年に開業した 「 札幌西武 」 は 103 年の歴史にそれぞれ幕を閉じました。皮肉にも 「 旭川西武 」 は 「 丸井今井旭川店 」 の閉店が決まったことで何とか閉店を逃れることとなりましたが ・・・・・ 。
ここでは 「 絵葉書の世界 」 の中から、この二つの店舗に関連するものを集めてみました。(H21.10)
( ※ 一部未公開のものも含まれています。 )
「 五番舘 ─ 札幌西武 」
 
     
 
     
 
     
 
     
   

「 丸井今井旭川店 」
 
     
 
     
   

BACK






File #057 新日鉄室蘭 100 周年 (H21.08) BACK
 7 月 31 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 新日鉄室蘭 100 周年祝う 】 という見出しで記事が掲載されました。
「 室蘭の発展を支えてきた " 新日本製鉄 室蘭製鉄所 " が操業開始から 100 周年を迎え、
30 日に市内のホテルで記念式典が行われた ・・・」 というものです。
TV のニュースなどでも取り上げられていましたので、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

明治 42 (1909) 年 7 月、
三井財閥系の 「 北海道炭礦汽船 輪西製鐵場 」 として操業を開始した 「
新日本製鐵室蘭製鉄所 」 。
大正 6 (1917) 年 2 月には分社化されて 「 北海道製鐵所 」 となり、
さらに大正 8 (1919) 年 12 月には日本製鋼所と合併します。
明治 42 (1909) 年 7 月 18 日、第1熔鉱炉に火入れが行われ、21 日には送風が開始されましたが、
室蘭製鉄所では、この日を起業記念日と定めています。

「 絵葉書の世界 」 で 「 室蘭製鉄所 」 関連のものは、
" 道内各市町村 #16 ─ 室蘭 16/18 [ 明治四十四年 今上陛下行幸御旅館 ] ( 現 株式会社日本製鋼所室蘭製作所瑞泉閣 ) " と " 一枚の絵葉書 " の バックナンバー [ 15 日本製鋼所 登別温泉樂生園 ] の二枚のみですが、今回の NEWS にあわせて未公開の四枚をご紹介致します。
A ( 北海道室蘭 ) 製鋼所發電所及ポヱロハウス
 
B ( 室 蘭 ) 北海道製鐵所第一溶礦爐
 
C ( 室 蘭 ) 日本製鋼所全景 ( 其一 )
 
D ( 室 蘭 ) 日本製鋼所全景 ( 其ニ )
(H21.08)

BACK






File #056 重要文化財 正行寺本堂 (H21.07) BACK
「 File #055 登録有形文化財 2 件 」 でも登場した釧路管内厚岸町の 「 正行寺 」─── 。
当サイトのコンテンツ 「 北海道内の重要文化財建造物 」 017 にも掲載の通り、
その 「 本堂 」 は平成 4 年 1 月 21 日付 ( 文部省告示第12号 ) で国の重要文化財に指定されていますが、
このたび、平成 18 年 7 月から行なわれていた保存修理工事が完了し、
『 重要文化財 正行寺本堂保存修理工事報告書 』 が刊行されました。
「 財団法人 文化財建造物保存技術協会 」 編集著作、「 宗教法人 正行寺 」 発行によるものですが、
その報告書の 『 図版 古写真 5 〜 7 』 に 「絵葉書の世界」 より厚岸町の絵葉書三点が採用されました。
たいへん光栄に思います。
報告書に掲載されました三枚の絵葉書 ( 厚岸 2/6 ・ 4/6 ・ 5/6 ) につきまして、
ここであらためてご紹介致します。(報告書掲載順)
古写真 5 ─ 厚岸 4/6 (厚岸名所) 湯殿山ヨリ真龍ヲ望ム
( 中央に写っている入母屋屋根の大きな建物が正行寺本堂 )
 
古写真 6 ─ 厚岸 5/6 真龍町ヨリ遙カニ厚岸町ヲ望ム
 
古写真 7 ─ 厚岸 2/6 風光明媚の厚岸町ニ ( バラ山岬を望む西南部 )
今後とも「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。
(H21.07)

BACK






File #055 登録有形文化財 2 件 (H21.07) BACK
 6 月 20 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 西原鈴子 会長 ) は、19 日、
根室管内中標津町の 「 旧北海道農事試験場根室支場 ( 道立根釧農試の前身 ) 」の建物 4 棟と釧路管内厚岸町の 「 正行寺鐘楼 」を登録有形文化財に指定するよう、塩谷立文部科学相に答申・・・ 】
という記事が掲載されました。

「 旧北海道農事試験場根室支場 」 では、1927 ( 昭和 2 ) 年に建築された " 旧北海道農事試験場根室支場庁舎 ( 伝成館 ) " と、翌 28 ( 昭和 3 ) 年に建築された " 同農具庫 ( 道立根釧農試農具庫 ) " ・ " 同種苗倉庫 ( 道立根釧農試種苗倉庫 ) " ・ " 同陳列館 ( 町郷土館緑ケ丘分館 ) " の 4 棟が対象。
1927 ( 昭和 2 ) 年に設置された旧根室支場の庁舎は北海道庁土木部の設計で、鉄筋コンクリート造二階建て、延べ約 500 u。その後約 1000 uにまで増築されたものの、2003 年 3 月の移転にともない解体される運命にありましたが、地元町民による保存運動の結果、建物は北海道から中標津町に譲渡されて無事生き延びることとなりました。
「 正行寺鐘楼 」 は、1799 ( 寛政 11 ) 年に新潟県で建築され、1910 ( 明治 43 ) 年に厚岸町の現在地に移築された " 正行寺本堂 " の鐘楼として 1908 ( 明治 41 ) 年に建立されました。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 101 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。
(H21.07)

BACK






File #054 景観重要建造物 (H21.03) BACK
 3 月 26 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
『 福音ルーテル教会/めばえ幼稚園 ─ 景観重要建造物に札幌市が初の指定 』 という見出しで記事が掲載されました。

札幌市は 25 日、市内中央区南 12 西 12 の日本福音ルーテル札幌教会と、隣接するめばえ幼稚園を、
同市初の景観法に基づく景観重要建造物に指定することを決定したというもの。
同教会は 1934 ( 昭和 9 ) 年の建築で木造平屋一部 2 階建て 342 u。同幼稚園は 1937 ( 昭和 12 ) 年の建築で木造 2 階建て 552 uで、同教会と対をなすデザインになっています。
札幌景観資産 ( もと 札幌市の都市景観重要建築物 ) のページにもある通り、
2 件とも平成 19 年 3 月 30 日付で札幌市の都市景観重要建築物に指定されていたものです。

「 札幌市都市景観条例 」 は平成 10 年 3 月に条例 第 18 号として制定されましたが、
平成 16 年 6 月に、日本初の景観に関する総合的な法律として景観法 ( 法律第 110 号 ) が創設されたため、
札幌市は平成 19 年 12 月に、「 札幌市景観計画及び札幌市都市景観条例の全部を改正する条例 」 を制定しました ( 平成 20 年 4 月 1 日 施行 ) 。
これに伴い、それまで同市独自の 「 都市景観重要建築物 」 も 「 札幌景観資産 」 と名称が変更され、
今回、景観法に基づく 「 景観重要建造物 」 が初めて指定されました。
(H21.03)
※ なお今回の NEWS にあわせて
  TOP ページにある 「 札幌市の都市景観重要建築物 」 への入口の表記も 「 札幌景観資産 」 に変更しました。

BACK






File #053 季刊・札幌人 (H21.01) BACK
『 季刊・札幌人 』 という雑誌をご存知ですか。
地域は札幌及び札幌近郊に限られてしまうかもしれませんが、
有限会社 札幌グラフコミュニケーションズ ( 代表 荒井宏明 氏 ) が年 4 回発行している、札幌を中心とした都市探訪マガジンです。昨年暮れの 12 月 25 日に 『 2008 年 冬 vol.19 』 が発行されましたが、
その中で当サイトの絵葉書を取り上げた 「 絵葉書 時空漫歩 」 という特集を組んで下さいました。

34 ページにわたって掲載された絵葉書は計 57 枚。( うち、オモテ ( 宛名 ) 面 4 枚 )
「 絵葉書の世界 」 では原則としてカラー以外のものはグレースケールに減色してありますが、
『 季刊・札幌人 』 ではすべてカラー画像となっていますので、ホームページではご覧頂くことのできない実際の色合いが感じられ、たいへん趣のあるものになっています。

3 月 25 日に次号 『 2009 年 春 vol.20 』 が発行の予定ですが、それまで札幌市内・近郊の書店 160 店及び北海道キヨスクで取扱っております。また定期購読も可能ですので是非一度手にとって頂ければと思います。
『 季刊・札幌人 』 の ホームページ ではバックナンバーの特集テーマ及び在庫状況のほか、バックナンバーの注文や定期購読の申し込みなどもできますので、こちらも是非ご覧下さい。
(H21.01)
※ 「 季刊 ・ 札幌人 」は、2011 年 2 月 1 日発行の通巻第 27 号を持ちまして、休刊となりました。

BACK






File #052 登録有形文化財 1 件 (H20.12) BACK
 12 月 13 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石澤良昭 会長 ) は、12 日、芦別市の 「 旧 三井芦別鉄道炭山川橋梁 」 を登録有形文化財に指定するよう、塩谷立 文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されました。

「 旧 三井芦別鉄道炭山川橋梁 」 は、1945 ( 昭和 20 ) 年ころ、
芦別市を流れる炭山川に架けられた旧鉱山鉄道の橋梁 ( 入山駅 ― 中の丘駅 ) で、
1992 ( 平成 4 ) 年 9 月に閉山した三井芦別鉱が 1989 ( 平成元 ) 年 3 月まで使用していました。
橋長は 94 m で、最高で約 30 m の橋脚が並んでいます。

廃線後は芦別市に寄贈されましたが、
橋梁上には同時に寄贈されたディーゼル機関車と石炭運搬車の 2 両も保存されています。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 96 件となり、
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H20.12)

BACK






File #051 小樽日報社 (H20.11) BACK
11 月 8 日付 「 北海道新聞 」 夕刊の一面トップに、
「 小樽日報社は 「 立派なる事本道中一番 」 ── 啄木の手紙 本当だった 」
という見出しで記事が掲載されました。
それによると " 明治時代、石川啄木 ( 1886 - 1912 )が記者として勤めていた 「 小樽日報社 」 の建物が写った写真が小樽市総合博物館で発見された " というもので、今回発見された写真の一部とともに掲載されました。
写真は現在の JR 小樽駅西側の高台から市内を一望するように撮影された四枚組写真の中の一枚とのこと。
周辺の建物の様子から 1907 ( 明治 40 ) 年に撮影されたもの ・・・・・ と報じています。

新聞記事の中に写真が掲載されていましたので、
同じ建物がどこかに写り込んでいないか ・・・ とチョット調べてみましたが、一枚だけ見つけました。
残念ながら絵葉書ではありませんが、以前所蔵していた生写真帖からの一枚で、
[ 小樽 #05 -133 ] です。
小樽 #05 のページでもふれていますが、この写真帖には奥付もなく、どのような経緯で世に出たのかもわかりませんが、その中に、今回発見された写真同様、小樽停車場西側の高台から市内をパノラマで撮影した四枚組みの写真 [ 小樽 #05 - 131 〜 134 ] がありまして、その中の一枚がここで紹介するものです。
撮影時期につきましては、以前 CLOSE UP File #007 でも取り上げたことがありますが、
写っている建物から判断すると 明治 42 年 〜 明治 44 年頃の撮影ではないかと思われます。
関係する部分を少し拡大したものが下の写真。
四角で囲まれた部分を拡大したものが次の写真で、
さらに四角で囲まれているものが 「 小樽日報社 」 と確認された建物です。
今回発見された写真とは多少撮影したアングルが違うみたいですが、
啄木は 1907 ( 明治 40 ) 年 10 月から 12 月までこの 「 小樽日報社 」 に勤めていたそうで、
同社を初めて訪れた際の感想を友人に宛てた手紙の中で、 「 立派なる事本道中一番 」 の表現に ─── 。

1907 ( 明治 40 ) 年の春に北海道を訪れて以来、
函館で弥生小の代用教員や函館日日新聞の記者として働いていましたが、8 月の大火で函館を離れます。
その後、札幌の北門新報を経て小樽にやってきた石川啄木 ・・・・・
その頃に思いを巡らして古写真をながめるのもまた楽しいものです。
(H20.11)

BACK






File #050 最近の新聞記事から (H20.10〜11) BACK
◆ 「 風雪に耐え 130 年 ── 札幌市時計台 」 [ 2008-10-17 ]

札幌市時計台が 16 日に創建から 160 年を迎え、記念式典が行なわれました。
記事によれば、明治 11 ( 1878 ) 年 10 月 16 日、札幌農学校の演武場として建てられた時計台は、3 年後に時計塔が設置され、昭和 45 ( 1970 ) 年には国の重要文化財に指定 ・・・・・とあります。
本編では、現在地に移設後のものとして、
[ 札幌 # 01 / 002 ] [ 札幌 # 01 / 004 ] などを公開していますが、創建時の様子につきましては、
[ 北海道大学附属図書館北方資料室 北方資料データベース ] で " 札幌区全景 1〜6 " と入力し検索すると、「 明治12年の札幌 5 」「 明治12年の札幌 6 」 にキャンパス移転前のものとしてご覧になることができます。

◆ 「 『 蟹工船 』ブーム 多喜二の足跡 バスで ── 墓地、住居跡、旧拓銀支店など 」 [ 2008-10-18 ]

記事は、小樽育ちの作家、小林多喜二の代表作 『 蟹工船 』 のブームにあやかり、JTB北海道が 21 日から多喜二ゆかりの地を巡るバスツアー 「 小林多喜二・一日文学散歩 」 を発売・・・・・というもの。
市立文学館学芸員の案内で、多喜二の眠る奥沢墓地やJR小樽築港駅近くの住居跡をはじめ、多喜二が小樽高商卒業後の 1924 年 4 月から 『 不在地主 』 の発表で解雇される 1929 年 11 月まで勤めた旧拓銀支店や、『 工場細胞 』 の舞台となった北海製缶工場など、多喜二ゆかりの地を巡るツアーで、11 月 9 日から 来年 5 月 17 日まで 7 回開催。詳しくは JTB北海道小樽支店 TEL 0134-25-7826 まで。
本編では、小樽高商 [ 小樽 # 04 / 086 ] 、旧拓銀支店 [ 小樽 # 02 / 026 ] 、北海製缶工場 [ 小樽 # 05 / 103 ][ 小樽 # 05 / 104 ] を公開しています。
※ 小林多喜二についてより詳しく知りたい方は
  「 白樺文学館 多喜二ライブラリー ― デジタルでよみがえる小林多喜二の世界 」 http://www.takiji-library.jp/
   がたいへん参考になります。
  [ 蔵書→作品紹介 ] のコーナーでは、「 蟹工船 」・「 不在地主 」・「 工場細胞 」 などを読むことができます。
   ぜひご覧下さい。
◆ 「 函館の旧領事館 再生 ─ ロシア外相 訪問時に支援表明へ 」 [ 2008-10-31 ]

この日の記事では、
" 11 月 4 日で来日調整中のロシア・ラブロフ外相が、日本初のロシア領事館が函館に開設されて 150 年となるのに合わせた函館訪問で、現在老朽化により閉鎖されている旧領事館の復元を支援する意向である・・・ "
というものでしたが、その後さらに続報がありまして、
" 4 日午前にロシア政府専用機で函館空港に到着した外相はロシア・センターの開設式に出席 " [ 2008-11-04 ]、" ロシアのラブロフ外相は 4 日の函館訪問で北海道新聞社の単独インタビューに答え、函館市所有の旧ロシア領事館の保全について 「 建物がよみがえるのに必要な資金はすべて出したい 」 と述べ、全面支援する姿勢を表明・・・ " [ 2008-11-05 ] などと報道されています。

旧ロシア領事館は明治 41 ( 1908 ) 年竣工の建物で、今年でちょうど築 100 年。
北海道、とくに函館とはつながりの深いロシアですが、
この旧ロシア領事館の再生を通して両国の関係がいっそう改善されることを願っています。
本編では、[ 函館 # 05 / 108 ] で旧領事館の絵葉書を公開していますが、
今回の NEWS にあわせて少し大きめのもの ( 1000 x 642 px ) も用意致しました。こちら からどうぞ。
(H20.10〜11) ※ この NEWS で取り上げた記事はすべて北海道新聞紙上に掲載されたものです。

BACK






File #049 箱館奉行所 (H20.10) BACK
 10 月 3 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
【 歴史の舞台 今に ── 「 箱館奉行所 」 で上棟式 ・・・ 】 という記事が掲載されました。

" 函館市が、2010 年の開設に向けて同市五稜郭町の史跡五稜郭跡で復元工事を進める、 「 箱館奉行所 」 の上棟式が 3 日に行なわれた ・・・・・ " というものですが、これは 1864 ( 元治 元 ) 年に建てられた奉行所庁舎の玄関、表座敷、執務室を含む母屋など、当時の建物 約 3000 u のうち、約 1000 u を史料に基づいて復元する工事で、2006 ( 平成 18 ) 年 7 月に着工、総事業費は約 28 億円で、2010 ( 平成 22 ) 年 6 月に完成の予定です。

「 絵葉書の世界 」 では、函館 # 02 / 037 で " 奉行所庁舎 " 、函館 # 02 / 032 で " 兵糧庫 " などの絵葉書を公開しています。(H20.10)
凾館五稜郭舊役所
 
凾舘五稜郭内懐舊舘の景

BACK






File #048 登録有形文化財 1 件 (H20.09) BACK
 9 月 27 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石澤良昭 会長 ) は、26 日、紋別市上藻別の 「 旧 上藻別駅逓所 」 を登録有形文化財に指定するよう、塩谷 立 文部科学大臣に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されました。

「 旧 上藻別駅逓所 」 は、1926 ( 大正 15 ) 年、
当時の鴻之舞鉱山 ( 金山 ) 近くに開設された木造平屋一部 2 階建 延 235 u の駅逓所の建物で、
1940 ( 昭和 15 ) 年に駅逓の役目を終えた後は旅館、住宅として使用され、
平成 17 年 5 月には私設の 「 鴻之舞金山資料館 」 として、鉱山を始めとする地域の歴史資料展示施設として一般公開されています。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 95 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H20.09)

BACK






File #047 理研・大地みらい信金・北大鉄道研究会 (H20.08) BACK
「 理研・大地みらい信金・北大鉄道研究会 」 と変わったタイトルになってしまいましたが、
いずれも 「 絵葉書の世界 」 がほんの微力ながらお手伝いさせていただいたところです。
こちらの都合で確認作業が大変遅くなってしまいまして、この時期になっての NEWS にさせていただきました。

まず 「 理研 」、正しくは 「 独立行政法人 理化学研究所 」 ですが、ご存知の方がたも多いことと思います。
大正 6 ( 1917 ) 年 3 月 20 日、 「 財団法人 理化学研究所 」 として創設されますが、終戦とともに解体され、
「 特殊法人 理化学研究所 」 ( 昭和 33 年 ) を経て、2003 年 10 月より文部科学省所管の 「 独立行政法人 理化学研究所 」 として現在に至る自然科学の総合研究所です。

「 理化学研究所 」 では、「 ビデオライブラリー 」 として科学に関する様々なビデオを製作して一般公開しておりますが、その中に 2004 年から 2005 年にかけて製作された 『 女性科学者のパイオニアたち 』 というシリーズがあります。( 企画 ─ 理化学研究所 / 制作 ─ 山陽映画 )
そのタイトルをここで紹介しますと以下の通りです。
女性科学者のパイオニアたち 1
「 物に親しむ 黒田チカ 」         ( 2004 年製作 14 分 )

女性科学者のパイオニアたち 2
「 私のえらんだ道 阿武喜美子 」      ( 2004 年製作 14 分 )

女性科学者のパイオニアたち 3
「 紅花にかけた生涯 和田水 」       ( 2005 年製作 14 分 )

女性科学者のパイオニアたち 4
「 吸収スペクトルで物質を探る 加藤セチ 」 ( 2005 年製作 14 分 )

女性科学者のパイオニアたち 5
「 お茶博士の一生 辻村みちよ 」      ( 2005 年製作 14 分 )

女性科学者のパイオニアたち 6
「 道もなき道ふみ分けて 丹下ウメ 」    ( 2005 年製作 14 分 )
そして2006 年度に、これら 6 編を 44 分にまとめた、
道もなき道ふみわけて ― 女性科学者の100年 ―
女性科学者のパイオニアたち総集編
が制作されました。このビデオは
第 17 回 TEPIA ハイテク・ビデオ・コンクール TEPIA 特別賞
第 49 回 科学技術映像祭 主催者賞
も受賞しています。
( 以下は同研究所 HP のビデオ紹介文 )
「 女子に学問はいらぬ”とされていた明治大正の頃、頭脳と勇気を兼ね備えた少数の女性が科学を志し、現代科学の黎明期をになった学者たちがそれを支援した。科学史を飾る女性たちは道なき道をどのように踏みわけたのか ・・・・・・
明治以後の流れを巨視的に俯瞰しながらその足跡を辿る。 」
前置きが少し長くなってしまいましたが、
この総集編の中の、" 加藤セチ " が登場する部分 (18分52秒) で、その頃の札幌の様子を紹介する画像に、
「 絵葉書の世界 」 から [ 札幌 #04 / 098 札幌南一條通り ] の絵葉書が採用されています。
大変光栄に思っておりますが、確認作業がかなり遅くなってしまいましたこと、どうかお許し頂ければ幸いです。

なお、この 「 女性科学者のパイオニアたち 」 は、
「 独立行政法人 科学技術振興機構 」 の CS テレビ 「
サイエンス・チャンネル
[ カテゴリーで探す → 研究者・技術者 ( 人物紹介 ) ] でも視聴することができますが、
独立行政法人 理化学研究所 」 の公式サイト内の " ビデオ・ライブラリー " [ 理研Navi → ビデオライブラリー → 理研史ビデオ ] で、wmv 形式で視聴することが可能です。
このシリーズ以外にも多くの興味深い科学ビデオが用意されていますので、是非一度ご覧下さい。


つぎに 「 大地みらい信用金庫 」 です。
大正 5 ( 1916 ) 年に誕生した 「 有限責任根室信用購買販売組合 」 が前身である 「 根室信用金庫 」 が、平成 13 年 3 月に 「 厚岸信用金庫 」 と対等合併して 「
大地みらい信用金庫 」 となりましたが、同金庫では平成 18 年 5 月の創立 90 周年を記念する事業の一環として、平成 19 年 3 月に 『 大地みらい信用金庫 90 年史 』 を発行しました。
「 絵葉書の世界 」 からは、
同書の 「 地域の歴史 根釧ふるさと年代記 」 明治編 3 " 地域を結び、地域を広げる通信事業 " で、
「 根室落石無線電信局 」 [ 道内各市町村 #12 根室 20 / 22 ] の画像を採用して頂きました。
あらためて御礼を申し上げます。

最後に 「 北海道大学鉄道研究会 」 。
北大のサークル 「
北海道大学鉄道研究会 」 では会誌 「 混合列車 」 を発行しておりますが、
その最新号として 6 月 1 日に第 33 号が発行されました。
同書に掲載された、渡部邦昭 氏の 「 道央の駅本屋建築 札幌駅、小樽駅、新千歳空港駅 」 の中で、
戦前の 3 代目札幌駅の駅本屋 ( 写真 1 ) として、
「 絵葉書の世界 」 から [ 札幌 #01 / 005 札幌停車場 ] の絵葉書が採用されています。
大変遅くなってしまいましたが、
以上 3 点につきまして、絵葉書の画像が採用されましたことをご紹介させて頂きます。
(H20.08)

BACK






File #046 ラビスタ函館ベイ (H20.04) BACK
函館在住の方々はすでにご存知ではないかと思いますが、4 月 1 日、
「 Hotel & Spa Resort LA VISTA 函館ベイ 」
( 函館市豊川町12-6 TEL 0138-23-6111 
http://www.hotespa.net/hotels/lahakodate/ )
というホテルがグランドオープンしました。

豊川町といえば明治 7 ( 1874 ) 〜 8 ( 1875 ) 年に開拓使常備倉 ( 常備米を貯蔵する倉庫 ) が設置されたところで、池田栄七 ( REPORT/草創期の職人たち 参照 ) の設計施工により、あわせて 4 棟の常備倉が建築され、その壁には、明治 5 ( 1872 ) 年、現在の上磯町茂辺地に開設された 「 開拓使函館支庁茂辺地煉化石製造所 」 製の煉瓦が使用されていました。

「 ラビスタ函館ベイ 」 の一階展示コーナーでは、
開拓使が建設したレンガ倉庫と煉化石製造所が製造したレンガについて、パネルを使って紹介していますが、今回、「 絵葉書の世界 」 より " 茂辺地全景 " [ 道内各市町村 #16 茂辺地 1/1 ] の画像が採用されました。たいへん光栄に思います。今後とも「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。(H20.04)

BACK






File #045 都市景観重要建築物 (H20.04) BACK
 4 月 1 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
『 札幌市の都市景観重要建築物 ダン記念館など 5 件 』 という見出しで記事が掲載されました。

札幌市が、歴史・文化的に貴重な建築物を後世のために保存する 2007 年度の 「 都市景観重要建築物 」 に、南区真駒内のエドウィン・ダン記念館など 5 件を指定したというもの。
残る 4 件は、札幌聖ミカエル教会、城下医院、カトリック北一条教会聖堂、カトリック北一条教会司祭館カテドラルホール。これで指定建築物は計 23 件となりました。
中でも、 「 札幌聖ミカエル教会 」 は建築家 アントニン・レーモンド ( 1888 - 1976 ) の設計。
巨匠 フランク・ロイド・ライト ( 1867 - 1959 ) の事務所で学び、大正 8 ( 1919 ) 年、帝国ホテル設計監理のためにライトと共に来日しましたが、その後独立して大正 12 ( 1923 ) 年に
レーモンド建築事務所 を開設しました。
前川國男 ( 1905 - 1986 ) 、吉村順三などわが国を代表する建築家たちが彼の事務所で学んだのは有名な話です。
また、 「 城下医院 」 は建築家 田上義也の設計で、昭和 5 ( 1930 ) 年に建てられました。円筒形の外壁が特徴の建物です。創建時の写真はないのですが、中学二年の時の同級生の自宅です 。

今回の NEWS にあわせて、TOP ページに 「 札幌市内の都市景観重要建築物リスト 」 への入口を設けました。
( そのため、これまでの 「 旧日本郵船小樽支店の建物について 」 の入口は REPORT のページへ移転しています。ご了承下さい。 )
(H20.04)

BACK






File #044 三菱一号館 (H20.03) BACK
 3 月 12 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
『 丸の内に明治の薫り 元祖オフィスビル再現 』 という見出しで記事が掲載されました。

明治政府が招いたお雇い外国人で、
工部大学校 ( 現在の東京大学工学部 ) 造家学科 ( 現在の建築学科 ) で日本人建築家たちを育て上げ、自らも多くの建築物を設計したイギリス人建築家、ジョサイア ・ コンドル ( Josiah Conder 1852 〜 1920 ) 。
その彼の代表作として知られ、1968 ( 昭和 43 ) 年に解体された東京丸の内の 「 三菱一号館 」 を当時の工法を再現して復元し、2010 ( 平成 22 ) 年の春に 「 三菱一号館美術館 」 として開業するというものです。

三菱地所 発表の建築概要によれば、
東京都千代田区丸の内二丁目 6 番 1 号他に、煉瓦組積造、地上三階 地下一階、約 6000 u ( 1800 坪 ) の建物を復元するというもので、展示室・収蔵庫に加えてミュージアムカフェやミュージアムショップ、丸の内の歴史などを紹介するガイダンス施設で構成されるとのこと。すでに 2007 年 2 月に着工され、建物の竣工は 2009 年春の予定。2010 年春には、19 世紀西洋絵画を中心とした美術館として本格オープンをめざしています。

わが国最初の近代オフィスビルとして三菱一号館が竣工したのは 1894 ( 明治 27 ) 年 12 月 ( 着工は明治 25 年 1 月 )。
明治政府から丸の内・三崎町の官有地 10 万余坪の払下げを受けたのは 1890 ( 明治 23 ) 年 3 月ですが、当時、三菱ヶ原といわれた周辺では三菱一号館に先駆けて 1889 ( 明治 22 ) 年 5 月から東京府廰舎 ( 妻木頼黄 設計 ) が工事を開始していました ( 竣工は明治 27 年 7 月 ) 。
1911 ( 明治 44 ) 年頃には第十三号館が竣工し、「 一丁ロンドン 」 、三菱赤煉瓦街ともよばれていました。

「 絵葉書の世界 」 では 「 道外の絵葉書 」 のページで本州・四国・九州の絵葉書を公開していますが、
東京に関しては絵葉書を集めるきっかけともなった 「 Great Tokyo 」 20 枚のみとなっています。
「 道外の絵葉書 」 の中で最も枚数の多いのが " 東京 " で、今後それらを順次公開していく予定でいましたが、今回の NEWS にあわせ、当時の三菱赤煉瓦街が写された絵葉書を先行して公開することとしました。
下の絵葉書で一番右手前に見えているのが 「 三菱一号館 」 です。
(H20.03)

BACK






File #043 旧越中屋ホテル (H20.01) BACK
 1 月 19 日付 「 北海道新聞 」 夕刊の一面 TOP 記事に、
『 小樽の栄華 今に伝える ── 近代化遺産 「 旧越中屋ホテル 」 ── 』 の見出しで記事が掲載されました。
明治から昭和にかけての繁栄を物語る歴史的建造物が点在する小樽で、「 旧越中屋ホテル ( 現 小樽グランドホテルクラシック 同市色内一 ) 」 が、昨年 11 月に経済産業省の近代化産業遺産に認定されたというもの。

小樽市の歴史的建造物 ( 第 16 号 ) にも指定され、倉沢国治事務所の設計によって、
昭和 6 ( 1931 ) 年に竣工した、鉄筋コンクリート構造 3 階建て、延約 1800 uの建物です。
昭和初期の建築物のため、「 絵葉書の世界 」 では登場する絵葉書は少なく、
小樽 #01 - 015 の一部に見えているだけです。( 下の絵葉書に写っている右手の建物 )
この建物は、市内にある明治 10 ( 1877 ) 年創業という老舗旅館 「 越中屋旅館 」 の創業者 上屋治三郎氏が横浜 ・ 神戸の洋館を見学して建設した外国人専用ホテルとのことですが、「 越中屋旅館 」 の絵葉書につきましては、「 絵葉書の種類について 」 の中で一枚 ( 下の絵葉書 A ) が紹介済みです。
今回の NEWS にあわせて全三枚を以下に掲載いたします。 ( ※ 越中屋旅館の公式サイト は 
こちら )
A 小樽 越中屋旅館
 
B 小樽越中屋旅館前庭
 
C 小樽越中屋旅館内庭
以前勤めていた専門学校では毎年 6 月に 「 小樽市内見学会 」 を実施していましたが、
その見学会が続いている間でも、同建物は 「 罐友会館 」、「 アドバンテスト社ゲストハウス 」 と所有者及び名称が変わり、現在の 「 小樽グランドホテルクラシック 」 となったのは平成 5 年のことでした。
文字通り元の用途に戻ったわけで、このままいつまでも活用されることを願っています。(H20.01)
※ 近代化産業遺産 ( 北海道分 ) は こちら からどうぞ

BACK






File #042 登録有形文化財 2 件 (H19.12) BACK
 12 月 8 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石澤良昭 会長 ) は、7 日、芦別市内の 「 星槎大学 校舎 」 と 「 星槎大学 体育館 」 を
登録有形文化財に指定するよう、渡海紀三朗文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されました。
「 星槎大学 」 は、1954 ( 昭和 29 ) 年に建築された 「 旧頼城小学校 」 の建物で、
「 校舎 」 は教室棟と職員室棟の二棟で煉瓦造二階建て、延べ約 4400 u。
特に北教室棟は 100 m を超す長さが壮観。
「 体育館 」 は木造平屋建て、延べ約 750 uで、内部の木造トラス構造が特徴となっています。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 94 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H19.12)
ここで 「 頼城(らいじょう)小学校 」 について少しだけ ・・・・・。

芦別市の南端、三井芦別鉱業所 ( 昭和 14 年開鉱 ) の炭鉱街として栄えた頼城地区にある 「 旧頼城小学校 」 は、
明治 41 年 3 月 9 日、芦別尋常小学校の頼城分教場として開校します。
明治 43 年 7 月 1 日には 「 頼城教育所 」 と改称し、修業年限も 6 年となりました。

以後、尋常小学校、国民学校を経て頼城小学校となったのは昭和 22 年のこと。
昭和 28 年 10 月にはそれまでの木造校舎が火災で全焼し、昭和 29 年に不燃性の赤レンガ校舎が完成しました。
( 全国で唯一残っている煉瓦造の小学校校舎とも言われています )
建設費は三井芦別鉱業所が全額負担したそうです。

炭鉱で働く家庭の子供たちが通い、
ピークだった昭和 33 年には全部で 41 学級、児童数も 2000 人を超えたというマンモス校でしたが、
炭鉱の衰退 ( 平成 4 年閉山 ) とともに児童数も減少の一途をたどり、
平成 14 年 3 月、「 西芦別小学校 」 に統合されて閉校。91 年の歴史に幕を閉じました。
閉校時の児童数はわずか 10 名 ────。

平成 16 年からは学校法人国際学園が運営する通信制大学 「 星槎大学 」 として使用されています。
ちなみに、平成 11 年 12 月に公開された映画版 " GTO " はこの学校で撮影されたとか ・・・・・。
なお、すぐ近くには旧頼城中学校もありましたが、平成 8 年に閉校となり、
その校舎は現在 「 星槎国際高校 」 として活用されています。

BACK






File #041 札幌市営交通 80 周年 (H19.12) BACK
 11 月 30 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
「 札幌市営交通 80 周年記念 ─ 市電で冬巡り 」という記事が掲載されました。
札幌市電気局が発足して電車事業が市営となった昭和 2 ( 1927 ) 年 12 月 1 日から 80 周年を記念し、
札幌市は共通ウィズユーカードの販売や市電を活用したイベントを実施する予定とのこと。
10 日 (月) から発売される 「 さっぽろロマンティックパスポート 」 は価格 1500 円で、「 市電一日乗り放題乗車券 」 に 「 もいわ山ロープウェイ 」 の往復乗車券と大観覧車 「 ノリア ( NORIA ) 」の乗車券のほか、市電沿線の飲食・ショッピング 42 店で使える割引クーポンがセットとなっていて、地下鉄大通駅の市交通案内センターなどで販売するそうです。
「絵葉書の世界」では
札幌 #03 / #052で 「 札幌電気軌道 」、 札幌 #03 / #053で 「 札幌市電気局 」 を公開中です。(H19.12)

BACK




File #040 市立函館博物館五稜郭分館閉館 (H19.12) BACK
新聞などでも報道されていましたが、11 月 30 日、市立函館博物館五稜郭分館が、
函館市の進める箱館奉行所の復元整備事業に伴い半世紀の歴史に幕を閉じました。
昭和 29 ( 1954 ) 年 7 月 10 日から 8 月 31 日まで開催された北洋博覧会の物産館として建てられた建物は、翌年 6 月に市立函館博物館五稜郭分館として開館、箱館戦争や五稜郭に関する歴史資料を収蔵し、
多くの市民や観光客に親しまれてきました。
来年秋には解体され、収蔵資料は復元予定の箱館奉行所と博物館本館に展示されるとのことです。
「絵葉書の世界」では
函館 #02 / #037 で 「 五稜郭舊役所 ( 箱館奉行所 ) 」 を公開中です。(H19.12)
※ この NEWS に関連して、
『 五稜郭記録 』 ( 昭和 5 年 [大正11年初版] 発行 北島勇之進 ) の PDF ファイルを用意しました。
「 五稜郭みやげ 」 という絵葉書のセットに附録として用意されたもののようです。
別ウィンドウで開きます。  こちら からどうぞ。

BACK




File #039 大谷派函館別院 重文指定へ (H19.10) BACK
 10 月 20 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石沢良昭 会長 ) は、 19 日、函館市の 「 大谷派本願寺函館別院 」 ( T 4 ) など 10 件の建造物を重要文化財に指定するよう渡海紀三朗成彬文部科学相に答申 ・・・ 】 という記事が掲載されました。
 今回の指定は本堂 ・ 鐘楼 ・ 正門の三棟で、国内の重要文化財 ( 建造物 ) は2327 件、このうち道内のものは 25 件 ( 函館市内では 5 件目で計 8 棟 ) となりました。
 平成元 ( 1989 ) 年にはすでに本堂 ・ 表門 ・ 南門 ・ コンクリート塀が市の伝統的建造物に指定されていた建物で、わが国初の鉄骨小屋組をもった鉄筋コンクリート構造の寺院建築です。

 明治 14 ( 1881 ) 年に現在地へ移転後、明治 40 ( 1907 ) 年の函館大火で焼失したため、京都大谷派本願寺大師堂 ( M 28 ) などを完成させた九世 伊藤平左衛門 [ 文政 12 ( 1829 ) 〜 大正 2 ( 1913 ) ] の設計により
明治 45 ( 1912 ) 年に着工、九世没後は十世 平左衛門に工事が引継がれ、木田保造 [ 明治 18 ( 1885 ) 〜 昭和 15 ( 1940 ) ] の施工によって大正 4 ( 1915 ) 年に竣工しました。

 九世 伊藤平左衛門は名古屋出身。尾張藩の作事方をつとめた工匠の家柄で、明治 29 ( 1896 ) 年 6 月には宮内省より " 帝室技芸員 " ( 明治 23 年に制定後、昭和 19 年で制度廃止。55 年間で 79 名が選ばれました。現在の人間国宝に当たります。) を拝命。建築の分野では、伊東忠太 ・ 木子清敬とともに平安神宮に携わった佐々木岩次郎と平左衛門の二名のみでした。
※ 九世 伊藤平左衛門につきましては 『 建築雑誌 』 ( 第 27 輯 第 318 号 建築学会 大正 2 年 6 月 ) の訃報記事に経歴の詳細があります。

 木田保造は明治18年千葉県で生まれました。明治39年に工手学校建築科を卒業後、明治43年まで大蔵省臨時建築部に勤務。その後東京赤坂で土木建築請負業を開業し、東京白木屋呉服店をはじめ、北海道においても拓殖銀行函館支店 ・ 丸井今井函館店 ・ 百十三銀行本店 ・ 丸井今井札幌本店 ・ 札幌警察署など、北海道における鉄筋コンクリート構造の設計 ・ 施工、普及に貢献しました。
※ 昭和 17 年刊行の伝記 『 木田保造 』 第二章 傳記篇 に、" 遺稿其二 " として 「 伊藤先生父子の靈に捧ぐ 」 という文章が掲載されています。
  
pdfファイル を用意しましたので、参考までにどうぞ。
 「絵葉書の世界」では、函館 # 04 / # 087 「 函館ハリストス正教会 」の後方に函館別院が ( 下の写真 A )、
また、九世 伊藤平左衛門の作品としては 道内各市町村 # 05 / 江差 # 26 に 「 江差東別院本堂 」 ( 同 B ) を掲載しています。
 
A 函館 # 087 函館ハリストス正教会   B 江差 # 26 江差東別院本堂
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H19.10)

BACK




File #038 登録有形文化財 1 件 (H19.06) BACK
 6 月 16 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石澤良昭 会長 ) は、15 日、根室管内中標津町の 「 北村家住宅主屋 ( 旧土田旅館 ) 」を
登録有形文化財に指定するよう、伊吹文明文部科学相に答申・・・ 】 という記事が掲載されました。
「 北村家住宅主屋 ( 旧土田旅館 ) 」 は、1927 ( 昭和 2 ) 年に建築された「 武佐駅逓所 」の建物で、
木造二階建て、延べ 180 u。建築当初は旅人に宿や馬などを提供する駅逓所でしたが、
駅逓制度廃止後は 1985 ( 昭和 60 ) 年まで旅館として使用され、現在は住宅となっています。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、これを含めて 92 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H19.06)

BACK






File #037 宣教師ニコライ (H19.05) BACK
少し前の話になりますが、
4 月 15 日 (日) 付 北海道新聞 朝刊 の " にちよう特報 " のコーナーで、
「 日ロ交流の先駆者 宣教師ニコライに脚光 」 という記事が掲載されました。
" ロシア正教を日本に伝えた宣教師ニコライ ( 1836 - 1912 ) の生涯が、本国ロシアで脚光を浴びている ・・・ " というもので、昨年の秋からモスクワやロシア中部のオレンブルクで、ニコライ生誕 170 年を記念した回顧展が開催され、また書籍の出版も相次いでいるとか ──── 。

ニコライといえば東京神田の " ニコライ堂 " を思い浮かべる方々が多いと思いますが、
彼が日本にやってきたのは 1861 ( 文久元 ) 年 6 月 14 日 ( 旧暦 ) 、
24 歳という若さで函館 ( 当時は " 箱館 " ) に上陸したのが最初です。
前年の 1860 ( 万延元 ) 年 6 月には奉行所出入の棟梁 浦川要作の請負によりロシア領事館の敷地内に「 ハリストス正教会 箱館復活聖堂 」 ( 上の写真 ) が建てられていましたが、前任の箱館領事館付司祭が病気で帰国したため、ゴシケヴィッチ領事から司祭派遣を要請された外務省がロシア聖務院を通して領事館付司祭の募集をします。当時サンクトペテルブルグ神学アカデミー在学中だったニコライ ( Ioan Dimitrovich Kasatkin ) はただちに志願して応募者四名の中から選ばれますが、その後修道士となって " イオアン " から " ニコライ " に改名します。

同年 8 月 1 日 ( 露暦 )、ニコライは日本に向けて旅立ち、イルクーツクを経てアムール川の港町ニコラエフスクに到着、冬期のため翌年 4 月に軍艦アムール号に乗船して ( これには異論があります ) 、6 月に箱館に上陸しました。ニコライは精力的に正教の布教につとめ、また日本語を習得し、仏教も学び、日本の風俗習慣などを研究しました。
1872 ( 明治 5 ) 年には伝道の本拠地を東京に移して信徒の数も増加してきますが、1891 ( 明治 24 ) 年になって、あの、J・コンドル ( 1852 - 1920 ) の実施設計・監督による " ニコライ堂 " 「 日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂 」 が完成します。原設計はロシア人建築家シュチュールポフ ( ロシア工科大学教授 ) 。
1884 ( 明治 17 ) 年に着工し、1891 ( 明治 24 ) 年 2 月、約 24 万円という工費をかけて竣工しました。
1923 ( 大正 12 ) 年 9 月 1 日の関東大震災ではドームの屋根や鐘楼が崩壊し、また内部も焼失しましたが、岡田信一郎 ( 帝国大学 明治39年卒業 ) の設計で、1927 ( 昭和 2 ) 年より修復工事に着工し、1929 ( 昭和 4 ) 年に完成したのが現在の建物です。

なお、1860 ( 万延元 ) 年にロシア領事館の敷地内に建てられた箱館復活聖堂は 1907 ( 明治 40 ) 年 8 月 25 日の函館大火で焼失し、1916 ( 大正 5 ) 年、河村伊蔵の設計によって再建されたものが現在の聖堂で、1983 ( 昭和 58 ) 年には国の重要文化財に指定され、1988 ( 昭和 63 ) 年、三年余りの大修復工事を経て当初の姿に復元されました。市内有数の観光名所となっているのは皆さんご存知の通りです。

「 絵葉書の世界 」 では、
大正 5 年の " 函館ハリストス正教会 " ( 通称 ガンガン寺 ) の絵葉書が 函館 #04 / 087 - 088 にあるだけですが、「 道外の絵葉書 」 のコーナーでいずれ公開する予定だった " 東京編 " の中に、J ・ コンドルの設計による " ニコライ堂 " の絵葉書がありますので、今回、この NEWS にあわせて公開することと致しました。
(H19.05)
※ なお、この NEWS に関しましては日本正教会のホームページを参考にさせて頂きました。
  日本正教会  
http://www.orthodoxjapan.jp/

※ 外観の二枚のみ、画像をクリックすると拡大して見ることができます。

BACK






File #036 登録有形文化財 2 件 (H19.03) BACK
 3 月 17 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 石澤良昭 会長 ) は、16 日、渡島管内森町の 「 斉藤家住宅 ( 旧盛田家住宅 ) 主屋 」 と、
網走管内津別町の 「 順誓寺本堂 」 の 2 件を登録有形文化財に指定するよう、伊吹文明文部科学相に答申・・・ 】 という記事が掲載されました。
「 斉藤家住宅 ( 旧盛田家住宅 ) 主屋 」 は、1902 ( 明治 35 ) 年ごろに建築された網元の住宅で、
木造平屋一部二階建て。昨年、渡島管内鹿部町から移築されました。
また、 「 順誓寺本堂 」 は 1935 ( 昭和 10 ) 年に建てられた浄土真宗の建物。
道内の登録有形文化財 ( 建造物 ) は、この 2 件を含めて 91 件に。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H19.03)

BACK






File #035 函館市公民館 ( 旧 函館市青年会館 ) (H19.01) BACK
凾館市年會館 開館記念 全景
凾館市役所發行 昭和十三年十一月九日 津輕要塞司令部許可済
函館市公民館 ( 旧 函館市青年会館 ) の建物をご存知でしょうか。
同市青柳町 汐見坂 に面して建つ瀟洒な建物です。
( 一般には " 護国神社の坂 " と呼ばれている、電車通りから高田屋嘉兵衛の銅像が見える"あの"坂です。 )

実はこの函館市公民館 ( 旧 函館市青年会館 ) の建物、昭和 8 年 ( 1933 ) に建てられた大変由緒のある建物なのですが、昨年の春ごろから俄かに注目を集めています。

市内のクラシック演奏家や愛好家のほか、街並み保存の関係者なども加わった 「 函館市公民館活性化ネットワーク ( イキ!ネット ) 」 は、昨年 4 月に 「 函館市公民館活性化計画 」 を発表しました。さらに音楽演奏の小ホールとして活用すべく歴史的建造物の改修実現に向けて勉強会を開催したのは 5 月のことです。

同市内では不足気味といわれる "音楽ホール" 。
市民による音楽活動の拠点として活用したいところですが、
管理する函館市教育委員会ではその財源不足を理由に難色を示していました。

その後、6 月 12 日付北海道新聞函館版夕刊に 「 市公民館 音楽ホールに活用を 」 という記事が掲載され、
10 月 7 日には " NPO はこだて街なかプロジェクト " により、
建物の現況・バリアフリー・音響・設備 などの詳細な調査が実施されました。
さらに、10 月 18 日付北海道新聞函館版に、
「 函館市公民館 もっと生かそう ─ 改善提言や演奏会計画 市民団体 動き活発化 ─ 」 という記事も掲載され、12 月 9 日には公民館建物の外部調査も実施されました。

最近では、函館市議会の質問でも公民館が取り上げられています。
内容は 「 老朽化のひどい函館市公民館の保存と活用についてどう考えているか 」 というもので、
担当者からは 「 生涯学習の場として西部地区には必要な建物であり、今後も活用していきたい 」 という回答があったとのこと。一日も早く活性化されて市民生活の中で甦ってほしいものです。

函館市公民館 ( 旧 函館市青年会館 ) の建物については、
昭和 5 年 9 月 13 日の 「 函館市聯合青年団大会 」 において、
集会場所としての 「 青年会館 」 建設の気運が盛り上がり、
函館区会議員・函館貯蓄銀行頭取などを歴任した石館友作 ( 1872 - 1950 ) 氏から、
敷地 約 400 坪、工事費 5 万 1000 円、土蔵一棟、木造家屋一棟など 10 万円相当の寄附の申し入れがあり、
設計監督 函館市建築技師 小南武一、施工 瀬崎組で 昭和 7 年 9 月 27 日に着工、
鉄筋コンクリート造二階建ての建物が 昭和 8 年 10 月 31 日に竣工しました。

その後、函館地方裁判所・同区裁判所の合併庁舎が翌 昭和 9 年 3 月 21 日の大火で焼失したため、
青年会館の建物をしばらくの間使用していましたが、昭和 13 年 9 月になって裁判所が移転し、
修理を行なって 11 月 22 日に開館式を挙行しました。

その際の記念として発行された絵葉書がここに掲載しているものです。
戦後になって、昭和 22 年 5 月 3 日に青年会館の建物を転用し函館市公民館として開館、
現在に至っています。
「 絵葉書の世界 」 ではこの青年会館の絵葉書はこれまで掲載しておりませんでしたが、
この NEWS に合わせて所蔵する 4 枚をここに公開いたします。(H19.01)
凾館市年會館 開館記念   講 堂
凾館市年會館 開館記念   廣 間
凾館市年會館 開館記念
(左) 前凾館市聯合年團長 前凾館市長 坂 本 森 一 氏 (右) 會館寄附者 石 館 友 作 氏

BACK






File #034 赤レンガの東京駅 開業時の姿に (H19.01) BACK
東京停車場 開場紀念
( 記念スタンプは " 東京 TOKIO 3.12.18 IN COMMEMORATION OF OPENING OF TOKIO RAILWAY STATION-1914 " )
※ 肖像は [左] 高橋 (善一) 東京驛長   [右] 仙石 (貢) 鉄道院総裁
東京驛   ※ 見やすいDATAは こちら からどうぞ
(東京停車場) 御車寄
新年を迎えた 2007 年 1 月 4 日付北海道新聞朝刊に、
「 東京駅 開業時の姿に 今月に着工、11 年度完成 」 という見出しで記事が掲載されました。
JR 東日本が 1 月中にも東京駅丸の内駅舎を約 90 年前の開業時の姿に戻す工事に着工するというもので、
完成は 2011 年度の予定だそうです。

今から 20 年前、1987 年の春に持ち上がった赤レンガ東京駅の取り壊し計画 ──── 。
その赤レンガ駅舎を残そうと全国の市民が保存のために立ち上がり、「 赤レンガの東京駅を愛する市民の会 」 が発足したのはその年の 12 月のことでした。発足まもない頃、私も以前勤めていた専門学校で保存のための署名を学生たちに頼んで協力してもらったことがありました。
その後、1988 年 4 月には国土庁 ( 長官 奥野誠亮 ) から " 現在地で形態保全 " という方向が示されましたが、1945 年の空襲によって失われたドームや焼失した 3 階部分の復元を目指してさらに運動が続けられました。

そして、1999 年 10 月には東京都とJR東日本との合意によって赤レンガ駅舎は復元されることとなり、
また 2003 年 4 月には国の重要文化財にも指定されました。
なお、竣工直後の大正 4 年 11 月に開業し、小説の舞台に登場したり著名な作家が執筆活動をしたことで有名な 「 東京ステーションホテル 」 ですが、駅舎の復原工事のために 2006 年 3 月末で営業を休止し、営業再開は約 5 年後の 2011 年の予定となっています。

ここでは、いずれ 「 道外の絵葉書 」 のコーナーで紹介する予定だった東京駅 ( 当時の名称は東京停車場 ) の開業に関する絵葉書を、この NEWS にあわせて掲載いたします。(H19.01)
 
( 東京停車場 ) プラットホーム   ( 東京停車場 ) 大廣室
     
 
( 東京停車場 ) 出札所   ( 東京停車場 ) 改札口
     
 
( 東京停車場 ) 御休憩室前ノ廊下   ( 東京停車場 ) 皇族御待合室

BACK






File #033 「THE JR Hokkaido」 (H19.01) BACK
JR 北海道の旅の情報誌 (車内誌) 「 THE JR Hokkaido 」 ( 北海道ジェイ・アール・エージェンシー 発行 )
の 2006 年 12 月号で、「 絵葉書に誘われて ─ 小樽 ・時間散歩の旅 ─ 」 という特集が組まれました。
ご覧になった方はいらっしゃいますか。

ひと月の発行部数は 100,000 部だそうですが、
毎月興味深い特集記事を企画編集されている北室女史から小樽の絵葉書の特徴について尋ねられました。
私の名前も出ていましたのでいろいろと迷ったのですが、「 絵葉書の世界 」 へのひとつの評価と思い、
ここでお知らせすることと致しました。何人かご覧になった方々からメールなども頂戴致しましたので ・・・・・ 。
全 7 ページにわたる特集の中で 10 枚の絵葉書を取り上げ、小樽の街の歴史から絵葉書に登場する界隈のいろいろなスポットまでくわしく紹介されています。(H19.01)
※ なお掲載されている絵葉書はすべて小樽市博物館所蔵のものです。

BACK






File #032 旧函館検疫所 台町措置場を再利用 (H18.10) BACK
 9 月 27 日付 「 函館新聞 」 に、
【 札幌の NPO 法人撤退・・・旧検疫所 】 という記事が掲載されました。
File #007 でも紹介した「 旧函館検疫所 台町措置場 」( 船見町25 )。
函館市が観光施設としての活用を目指して昨年 9 月に入居者を公募、札幌市の NPO 法人と賃貸借契約を結んで計画を進めてきましたが、その事業方針などの対立から同法人が撤退。10 月 1 日、喫茶店 「 ティーショップ夕日 」 としてオープンしました。店内には年代物のオルゴールなどが並べられ、函館湾を一望することができます。メニューも徐々に増やしていくとのこと。これからが楽しみなスポットです。(H18.10)

BACK






File #031 登録有形文化財 2 件 (H18.09) BACK
 9 月 16 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 阿刀田高 会長 ) は、15 日、札幌市の 「 沼田家住宅旧りんご倉庫 」 と、空知管内南幌町の 「 旧幌向村駅逓所 」 の 2 件を登録有形文化財に指定するよう、小坂憲次文部科学相に答申・・・ 】 という記事が掲載されました。
「 沼田家住宅旧りんご倉庫 」 ( 豊平区西岡 ) は、1953 ( 昭和 28 ) 年の煉瓦造建築で、地域特産のりんごの貯蔵庫として、1970 年代の前半まで使われていました。
また、 「 旧幌向村駅逓所 」 は 1926 ( 大正 15 ) 年の建築で、純和風の内部は旅客の宿泊所にも使用されましたが、1930 ( 昭和 5 ) 年に鉄道が開通したため、翌年に廃止されました。
今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H18.09)

BACK






File #030 旧三菱銀行小樽支店が新名所に (H18.09) BACK
 9 月 2 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
【 商都の栄華再現 】 という見出しで記事が掲載されました。
1922 ( 大正11 ) 年建築の 「 旧三菱銀行 小樽支店 」 がテナント施設 「 小樽運河ターミナル 」 に生まれ変わったというもので、建物を所有する北海道中央バスが改装し、7 月下旬にオープンしました。地元の老舗洋菓子 ・ 喫茶店 「 あまとう 」、オルゴール専門店 「 海鳴楼 」、小樽名物のぱんじゅう店 「 桑田屋 」 が店舗を構えています。このあたりは明治の頃から " 北のウォール街 " として金融 ・ 経済の中心だったところです。
「 絵葉書の世界 」 では、小樽 # 01 - 010 〜 014、016、018、029 で当時の様子を見ることができます。 (H18.09)

BACK






File #029 札幌市資料館 11月3日全面オープン (H18.08) BACK
 8 月 22 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 改修工事で一部施設を閉鎖していた札幌市資料館の全面オープンが、11月3日に決まった ・・・ 】 という記事が掲載されました。このコーナーでも " # 009 大正時代の法廷復元へ " で紹介していましたが、まもなく往時の刑事法廷を目にすることができます。
札幌市資料館は 1926 (大正15) 年、札幌控訴院として開館。
その後、高等裁判所として使用され、昭和48年から資料館として利用され今日に至っています。
札幌市では総事業費 7150万円をかけ、4月から改修工事を進めていました。 (H18.08)

BACK






File #028 登録有形文化財 20 件 (H18.06) BACK
 6 月 17 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 阿刀田高 会長 ) は、16 日、空知管内栗山町の 「 小林酒造 」 の 旧事務所や酒蔵など 13 件と、夕張市内にある 「 旧北炭夕張炭鉱 」 の関連施設 7 件を登録有形文化財に指定するよう、小坂憲次文部科学相に答申・・・ 】 という記事が掲載されました。
栗山の 「 小林酒造 」 は、1878( 明治 11 )年、札幌の " すすきの " で創業した道内屈指の老舗の造り酒屋で、1901 ( 明治 34 ) 年、札幌から栗山へ移転しました。平成 7 年 5 月から 「 蔵元北の錦記念館 」 として公開されている旧事務所( 昭和 19 )をはじめ、明治から大正にかけて建てられた煉瓦造や石造の酒蔵など、13 件が選ばれています。( 詳細は同社の HP でどうぞ。
http://www.kitanonishiki.com/ )
また、 「 旧北炭夕張炭鉱 」 の 「 高松こ線橋 」 ( 昭和 11 ) は、炭住街と坑口を結ぶ、長さ 22 m、幅 2.4 m の鉄筋コンクリート造アーチ橋。そのほか、全長 180 m の 「 模擬坑道 」 など、関連施設 7 件が今回選ばれました。今後、官報の告示を経て正式登録となります。(H18.06)

BACK






File #027 「小樽海港博覧会」のガラス乾板 発見 (H18.06) BACK
 6 月 1 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
【 75 年前 小樽の活況鮮やか ─ 海港博撮影の乾板 50 枚発見 】 という見出しで記事が掲載されました。
" 昭和 6 (1931) 年の夏に小樽で開催された 「 小樽海港博覧会 」 を写したガラス乾板約 50 枚が、小樽商工会議所の会頭室から見つかった " というもので、乾板の状態も良く、75 年前の博覧会の活況を鮮やかに写し出しているとのことです。
「 小樽海港博覧会 」は、昭和 6 年 7 月 11 日から 8 月 20 日まで開催されましたが、
「 絵葉書の世界 」では 「 mini album 」 File # 001 「 博覧会 」 のなかで年表に登場し、「 博覧会の絵葉書 」 Index # 010 「 その他の博覧会 」 の中で、解説及び絵葉書 2 枚 ( ここに掲載のもの ) を紹介しています。
(H18.06)

BACK






File #026 「翼の王国」 と 望楼 NOGUCHI 登別 (H18.05) BACK
全日空 ANA の機内誌、「 翼の王国 」。
飛行機に乗られた方なら、たぶん一度は目にされたことがあるかも ・・・・・ 。
毎月一日発行なんですが、その五月号に 「 望楼 NOGUCHI 登別 」 の広告が掲載されました。
ご覧になられた方はいらっしゃいますか。

6 月 20 日にオープンする野口観光の新しい宿泊施設 
http://www.bourou.com/ ですが、
その広告に、「 絵葉書の世界 」 の 道内各市町村 # 13 - 登別 1 / 6 " 登別温泉 市街地全景 " が採用されました。大変光栄に思っております。今後とも 「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願い致します。(H18.05)
※ なお、同施設の HP (上記サイト) の 「 望楼コンセプト 」 - 「 登別の歴史 」 でも同画像の一部が採用されています。

BACK






File #025 旧日本郵船小樽支店 建築100年 (H18.04) BACK
 4 月 5 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
【 旧日本郵船小樽支店 建築100年、催し続々 】という記事が掲載されました。
"今秋、建築百周年を迎える国指定重要文化財の旧日本郵船小樽支店では、今月末から約半年間にわたり特別展やコンサートを開く" というもので、4 月 1 日には新たに売店も設けられました。
特別展の日程 ・ 内容は以下の通りです。

   @ 4 月 25 日 (火) 〜 5 月 28 日 (日) 「 明治の小樽展 」
   A 6 月 20 日 (火) 〜 8 月 20 日 (日) 「 小樽の歴史的建造物展 」
   B 8 月 29 日 (火) 〜 11 月 5 日 (日) 「 小樽の港文化展 」


また、講演会の日程 ・ 内容は以下の通りとなっています。

   @ 5 月 26 日 (金) 「 明治の小樽 」について
        講師 小樽市教育委員会 生涯学習課 主査学芸員 石神 敏 氏
   A 7 月 21 日 (金) 「 小樽の歴史的建造物 」について
        講師 北海道職業能力開発大学校 助教授 駒木定正 氏


講演会終了後にはコンサートも開かれますが、いずれも前売券( \ 1000 各回 定員 80名 ) が必要です。
1906 ( 明治 39 ) 年の竣工から 100 年 ・・・・・・ 。
落成式が行なわれた 10 月 1 日には百周年記念セレモニーも行なわれ、この日は入館料も無料となるとか。
問い合わせは同支店 TEL 0134 - 22 - 3316 まで。(H18.04)

BACK






File #024 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 (H18.02) BACK
 2 月 18 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 漁業漁村の文化財百選 「鰊御殿」など道内から 6 件 ・・・ 】 という記事が載っていました。
 水産庁が、十七日、全国の漁村の歴史的、文化的に価値が高い施設や集落を選ぶ「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」を発表したもので、道内からは次の 6 件が選ばれました。
  ◇ 旧花田家番屋(留萌管内小平町) [国指定重要文化財]
    旧留萌佐賀家漁場(留萌市) [国指定史跡・北海道遺産]
    はまます郷土資料館(旧白鳥家番屋)(石狩市) [石狩市指定文化財]
    鰊御殿(旧田中家番屋)(小樽市) [北海道指定有形文化財]
    旧余市福原漁場(後志管内余市町) [国指定史跡]
    鰊御殿とまり(旧川村家番屋、旧武井邸客殿)(同泊村) [泊村有形文化財]
    鰊御殿(橋本家)(同寿都町)    の七カ所で一地区

  ◇ 旧下ヨイチ運上家(同余市町) [国指定重要文化財]

  ◇ 袋澗(同島牧村)

  ◇ 横山家(桧山管内江差町) [北海道有形民俗文化財]

  ◇ 石崎漁港トンネル航路(同上ノ国町) [国登録文化財・近代土木遺産]

  ◇ 函館漁港船入澗防波堤(函館市) [選奨土木遺産・近代土木遺産]
 " 全国の漁村に残る歴史的・文化的に価値の高い施設、貴重な工法や様式の施設などを 「 歴史文化財産百選 」 として認定することを通じ、これら施設の都市と漁村の交流の場や手段としての活用を促すとともに、国民の水産業や漁村に対する理解、関心を醸成することを目的とするもの " という水産庁の趣旨に基づいて、全国、6291 の漁村の中から選ばれたものです。
 絵葉書の対象としてはそれほど多くない「漁業・漁村」ですが、北海道では「鰊漁」に関するものをよく見かけます。このたびの " 百選 " からもおわかりのように日本海沿岸の地域が中心となりますが、いずれまとめてご紹介したいと考えています。(H18.02)

BACK






File #023 市民会館 来春解体 (H18.02) BACK
 2 月 3 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 札幌市 市民会館 来春解体 耐震強度不足 10 年後めどに再建・・・ 】 という記事が載っていました。
 札幌市が、二日、中央区の札幌市民会館を来年三月末で閉館すると発表したもので、昭和 33 年 7 月に開館して以来、47 年を経た建物は、市の調査により耐震基準を満たさず、改修しても長期的に維持することが困難であることがわかりました。貸し出しは来年一月末で終え、四月以降に解体するとのことです。
 昭和 2 年に完成した公会堂 ( 札幌 #05 - 110 〜 112 ) に代って、昭和 33 年 に新築された際、隣接する豊平館 ( 札幌 #01 - 009 ) を中島公園に移転した話は有名ですが、近代的な建築物であるが故に、老朽化は避けられませんでした。
 私自身も含め、市民会館にいろいろな思い出をお持ちの方々も多いのではないでしょうか。
 市では新しい施設の検討に入るそうですが、市民の誇りとなるような素晴らしい施設が誕生することを期待しています。(H18.02)
 
公会堂  / 札幌 #110   公会堂 / 札幌 #111
     
公会堂  / 札幌 #112
     
豊平館  / 札幌 #009

BACK






File #022 JR 小樽駅 登録有形文化財に (H18.01) BACK
 1 月 21 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 阿刀田高 会長 ) は、 20 日、小樽市内の 「 JR 小樽駅の駅舎とプラットホーム 」 と 渡島管内上磯町の 「 熊谷家住宅 」 を有形文化財に登録するよう中山成彬文部科学相に答申・・・ 】 という記事が載っていました。
 「 絵葉書の世界 」には今回の JR 小樽駅 ( 昭和 9 ) の絵葉書がありませんので、下に掲載します。
 明治 36 ( 1903 ) 年 6 月 28 日 函樽鉄道の小樽中央停車場として開業した現在の小樽駅ですが、この駅ができる前までは、現在の 「 南小樽駅 」 が、「 小樽停車場 」 とよばれていました。「 南小樽駅 」 は石炭の積み出しを行なう 「 手宮 」 までの官営幌内鉄道として、明治 13 ( 1880 ) 年、すでに 20 年以上も前に開業を迎えていたわけです。「 南小樽停車場 」 となったのは大正 9 年のことでした。
 一方、今回諮問の対象となった 「 小樽駅 」 は、その名称だけを見ても幾多の変遷を経ています。
 明治 36 ( 1903 ) 年の開業後、同年に 「 稲穂停車場 」 、明治 37 ( 1904 ) 年には 「 高島停車場 」 、明治 38 ( 1905 ) 年には 「 中央小樽停車場 」 と改称され、「 小樽停車場 」と呼ばれるようになったのは大正 9 ( 1920 ) 年のことでした。
 小樽 # 03 - 069 〜 071 に下に掲げた停車場関連の絵葉書があります。
 
入船町陸橋  / 小樽 #069   中央小樽停車場 / 小樽 #070
     
小樽停車場 構内  / 小樽 #071
 入船町陸橋 / 小樽 #069 に写っているのは 「 住吉停車場 」 ( 現 南小樽駅 ) で、明治 14 ( 1881 ) 年 5 月 22 日に 「 住吉停車場 」 となり、明治 23 ( 1900 ) 年に 「 小樽停車場 」 ( 初代 ) と改称されています。
 今回の三代目駅舎( 現駅舎 )に改築されたのは、昭和 9 ( 1934 ) 年 12 月 25 日で、傾斜地に建てられたため、駅舎裏手のホームが建物二階部分に設けられているのが特徴となっています。
 道内初の鉄筋コンクリート造駅舎ですが、2 年前に完成した上野駅をモデルにしたといわれています。
( 上野駅の開業は明治 16 年。南小樽駅のほうが先輩なんです。)
 そういえば、どことなくデザインが似ていますね。

 また、渡島管内上磯町の 「 熊谷家住宅 」 は、江戸末期の 1850 年代に建てられた木造二階建、住居兼店舗の町家建築で、現在も住居として使用され、道南のものとしては最古 ( 文化庁 ) とのこと。
 来月には指定・登録の見通しです。
(H18.01)

BACK






File #021 登録記念物 ( 名勝地 ) 第一号 (H17.11) BACK
 文部科学相の諮問機関である文化審議会 ( 阿刀田高 会長 ) は 11 月 18 日、国が今年度から新たに設けた [ 登録記念物 ] ( 名勝地 ) の第一号に 「 函館公園 」 ( 函館市青柳町 ) を指定するよう小坂憲次文部科学大臣に答申しました。官報告示を経て正式決定となります。文字通りの "記念すべき第一号" ですね。
 登録記念物は、( 遺跡関係 ) ・ ( 名勝地関係 ) ・ ( 動物、植物及び地質鉱物関係 ) の三つに分類されますが、その 「 登録記念物登録基準 」 が、平成 17 年 3 月 28 日付官報の 「 文部科学省告示 第 46 号 」 として掲載されています。
 それによりますと、( 名勝地関係 ) につきましては、
公園、庭園その他の名勝地( 名勝及び文化財保護法第百八十二条第二項に規定する指定を地方公共団体が
 行っているものを除く。)のうち、原則として人文的なものにあっては造成後五十年を経過したもの又は
 自然的なものにあっては広く知られたものであり、かつ、次の各号のいずれかに該当するもの

  一 造園文化の発展に寄与しているもの

  二 時代を特徴づける造形をよく遺しているもの

  三 再現することが容易でないもの
とされています。
 " 函館公園 " につきましては、「 絵葉書の世界 」 でも掲載枚数が多く、
函館 #02 - 042 〜 049 でご覧になれます。
 
凾館公園新噴水 / 函館 #042   凾館公園噴水の景 / 函館 #043
     
 
凾館公園内クリミヤ戦争紀念大砲 / 函館 #044   凾館公園内凾館ホテル / 函館 #045
     
 
凾館公園内藤棚の景 / 函館 #046   凾館公園運動場 / 函館 #047
     
 
凾館公園白河橋 / 函館 #048   澄宮殿下行啓 市立凾館圖書館附属水産館(昭和七年八月十三日)
/ 函館 #049
このほかに未公開のものもありますので、いずれ CLOSE UP などでご紹介できればと考えています。 (H17.11)

BACK






File #020 登録有形文化財 5 件 (H17.03) BACK
3 月 19 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 阿刀田高 会長 ) は、 18 日、函館市内の 「 函館大手町ハウス ( 函館市大手町 5 ) 」 ・ 「 遺愛学院 謝恩館 ( 函館市杉並町 64 ) 」 と "博物館 網走監獄" ( 網走市呼人 1-1 ) 内にある 「 教誨堂 」 ・ 「 五翼放射状舎房 」 ・ 「 二見ケ岡農場 ( 泊まり込み作業場 ) 」 の計 5 件を登録有形文化財に指定するよう中山成彬文部科学相に答申・・・ 】 という記事が掲載されました。
函館の 「 大手町ハウス 」 は、1918( 大正 7 )年、「 旧浅野セメント株式会社 函館営業所 」として建てられた木造 2 階建ての建物で、昭和 29 年から平成 2 年までは北海道漁業公社函館支社の所有となっていましたが、昨年 5 月に復元工事が行われ、現在、カフェ 「 テュ ・ プランド ・ デュ ・ テ 」 として使われてます。
( 詳細は同店の HP でどうぞ。
http://www.takuei.net/ )
また 「 遺愛学院 謝恩館 」 は、「 旧遺愛女学校 同窓会 」 が創立 40 周年を記念して 1922( 大正 11 )年に建てたもので、当初平屋だった建物は 1961( 昭和 36 )年に同窓会によって二階部分が増築され、本館 ( 国の重要文化財 ) と渡り廊下でつながっています。函館市内の登録有形文化財はこれで 7 件となりました。

一方、「 博物館 網走監獄 」 の諸施設は "刑務所の近代化を示す歴史的遺構" として評価されました。
残念ながら 「 絵葉書の世界 」 では 「 道内各市町村 #03 - 網走 3/9 」 に "網走刑務所正門" が掲載されているだけですが、 「 博物館 網走監獄 」の公式 HP http://www.ryuhyo.com/kangoku/ では、諸施設が写真とともに詳しく解説されていますので、ぜひそちらをご覧下さい。 (H17.03)

BACK






File #019 ニッカ工場 (続報) (H17.02) BACK
File #015 でお知らせした、余市町の 「 ニッカウヰスキー北海道工場 」の有形文化財登録についてですが、
原簿への登録の件が 2 月 28 日付 「官報号外」に掲載され、2 月 9 日付で登録されました。
リストにつきましても、追加更新しておきましたので是非ご覧下さい。TOP ページからどうぞ。(H17.02)

BACK






File #018 「おはよう ! 遠藤商店」 (H17.02) BACK
NEWS ということではないんですが、 2 月 23 日 (水) の HTB 北海道テレビ 「 朝情報 おはよう ! 遠藤商店 」 ( AM 5 : 30 - 6 : 25 ) "多言無用" のコーナーで、当サイトが紹介されました。どうしてもと言われましたので私もチョットだけ登場してしまいましたが、ご覧になった方はいらっしゃいますか。
記念に " onちゃん " のぬいぐるみを頂きました。(^^ゞ
これからも 「 絵葉書の世界 」 をよろしくお願いいたします。(H17.02)
※ HTB 北海道テレビ「 朝情報 おはよう ! 遠藤商店 」 " 番組大福帳 " の Back Number は 
こちら です。

なお、HTB 北海道テレビ 「 朝情報 おはよう ! 遠藤商店 」 ( 2003 年 4 月 7 日 〜 ) は、2006 年 9 月 22 日をもって終了し、変わってスタートした 「 おはよう天気HTB 」 ( 2006 年 10 月 2 日 〜 ) も 2011 年 3 月 4 日で終了。
さらに変わってスタートした 「 イチオシ!モーニング 」 ( 2011 年 3 月 28 日 〜 ) が現在放送中です。
時の流れは本当に早いものです。

BACK






File #017 Playground Club (H17.02) BACK
クレジットカード 「ダイナース・クラブ」 の WEB SITE に Playground Club というコンテンツがありますが、
その中の 「大人の散歩」 というコーナーでは、現在 " 北海道・小樽 " の特集が組まれています。
このたび、そちらのページのリンク集で当サイトをリンクして下さいました。ぜひご覧下さい。(H17.02)
※ 現在 back-number となっております。こちら からどうぞ。

BACK






File #016 歴史的建物 「第二の人生」 (H17.01) BACK
 新年を迎えた 2005 年 1 月 4 日付 「 北海道新聞 」 夕刊の第1面 TOP に、
"「歴史的建物 「第二の人生」 -函館市、再活用を計画- " という記事が掲載されました。
記事によれば、
" 函館市は 2005 年度から、現在使用されていない市所有の歴史的建造物三軒の本格整備に乗り出す "
とのこと。
歴史的建造物とは、
01. 現存する道内最古の警察庁舎 「旧函館西警察署庁舎」 ( 大正15年 - 1926 )
02. 日ロ交流の歴史を刻む 「旧ロシア領事館」 ( 明治41年 - 1908 )
03. 市内最古の木造建築物の一つ 「旧函館検疫所台町措置場」 ( 明治18年 - 1885 )
の三軒です。

高倉健主演の映画 「居酒屋兆治」 ( 1983 年 ) のロケでも使われた 「旧函館西警察署庁舎」 は、北大水産学部・大学院水産科学研究科の研究施設に、「旧ロシア領事館」 は在札幌ロシア総領事館 函館事務所に、
また、NEWS の File #007 でも紹介した 「旧函館検疫所台町措置場」 は、観光施設として生まれ変わる予定とのことです。

「絵葉書の世界」 では NEWS で取り上げた " 台町措置場 ( 絵葉書ではありません ) " 以外では、
#108 に 「旧ロシア領事館」 のものがあるだけですが、( 下の写真 )
写真からもわかる通り、
この建物前の 「幸坂」 ( 明治 8 年 - 1875 年に、坂の下の海岸が埋め立てられてできた 「幸町 (現 弁天町)」 が名前の由来 )
は、函館市内でも有数の急な坂道で、
10 年ほど前に専門学校の学生たちと訪れた際、坂道に座り込んで港の景色を眺めた思い出があります。

ただ、記事の中でちょっと気になるところも・・・・・。
「旧函館西警察署庁舎」 ( 大正15年 - 1926 ) については、
" 傷みがひどいため、いったん取り壊すが、市は同じ外観で復元し、「臨海研究所」に再生する方針 "
とのことですが、
この方法が、果たして表題にある "「歴史的建物 「第二の人生」 -函館市、再活用を計画- " になるのか、
少し疑問も感じています。
この前例が、これからの歴史的建造物 保存再生の事例において模範とならなければ・・・・・、
と感じてしまうのは私だけでしょうか。(H17.01)

BACK






File #015 ニッカ工場 登録有形文化財に指定 (H16.12) BACK
 12 月 11 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
「 余市のニッカウヰスキー北海道工場 有形文化財登録へ 」 という見出しで記事が掲載されました。
" 文化審議会 (高階秀爾会長) が 12 月 10 日、全国の建造物 199 件を有形文化財に登録するよう中山成彬文部科学相に答申した " というもので、道内からは余市町の 「 ニッカウヰスキー北海道工場 」 の事務所棟 (正門)、蒸留棟、貯蔵庫などのほか、創業者である故 竹鶴政孝氏の旧宅を含む 9 件が選ばれました。
これにより、北海道内の登録有形文化財は 60 件となりました。
ご存知とは思いますが、「 ニッカ = NIKKA 」 のブランド名は、創業時の社名 「 大汁株式会社 」 から。
JR 函館本線 余市駅からほど近いところにある北海道工場は、 15 万 u の敷地の中に、昭和 9 (1934) 年から昭和 17 (1942) 年にかけて建てられた 50 棟を超える建物が点在しています。
年末年始(12月26日〜1月7日)を除く毎日、工場を見学することが可能で、敷地内にはレストランやウィスキー博物館もあります。
大正 7 (1918) 年 6 月 29 日、日本で本物のウィスキーをつくるために、単身英国に渡り、本格的なウィスキーづくりを学んだ竹鶴政孝。その人生に学ぶものも多く、ぜひ一度、足を運んでいただきたい施設です。(H16.12)
※ ニッカウヰスキー 公式サイト http://www.nikka.com/ は、ぜひ一度ご覧下さい。
  サイト内コンテンツ「ニッカを知る」の「竹鶴物語」、「凛として」などはたいへん読み応えがあります。

BACK






File #014 札幌市水道記念館 全面改修 (H16.12) BACK
 12 月 1 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
「 水と触れ合う憩いの場に 」 という見出しで記事が掲載されていました。
" 札幌市の水道発祥の地、旧 藻岩浄水場の建物を利用した市水道記念館 ( 中央区伏見4 ) が全面改修され、水道創設 70 周年を迎える 2007 年に再オープンする " とのこと。
札幌の水道の歴史は、昭和 12 (1937) 年 4 月 1 日の旧 藻岩浄水場による通水開始まで遡ります。
当時は、給水戸数 1 万 8400 戸、普及率は 7 割でした。
その後、隣接する現 藻岩浄水場や白川浄水場に役目は引き継がれましたが、昭和 52 (1977) 年に 「札幌市水道記念館」 として再生し、平成 9 (1997) 年、浄水場改修工事のために休館して現在に至っています。
その工事も昨年 3 月に完了したため、札幌市では記念館の再開に向けて検討を進めてきました。
このたび再整備のための基本構想もまとまり、来年秋からの改修工事に向けて、さらに細かな部分の検討を進めるとのことです。
※ なお基本構想につきましては、
  札幌市水道局のHP http://www.city.sapporo.jp/suido/ で「札幌市水道記念館」のページをご覧下さい。
「絵葉書の世界」 では、「旧 藻岩浄水場」 に関するものは現時点で公開しておりませんが、
三枚所蔵している中から二枚を以下にご紹介します。
残念ながら本館正面を写したものが欠落した状態で購入したもののようで、たいへん不本意ですが、参考にして頂ければ幸いです。(H16.12)

BACK






File #013 「旧板谷邸」 を再生利用 (H16.11) BACK
 11 月 10 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
「 小樽の 「旧 板谷邸」、観光施設に活用へ - 札幌の不動産会社が購入 - 」 という見出しで記事が載っていました。それによると、戦前まで日本有数の船会社だった「板谷商船」 ( 小樽 ) の元社長宅、旧 板谷宮吉邸 ( 小樽市東雲町 ) の土地と建物を、不動産業 「不動産リサーチ」 ( 札幌 ) の子会社で、住宅情報誌の出版などを手がける 「アムスサービス」 ( 札幌 ) が 10 月下旬に購入したというもの。同社は数億円をかけて補修し、歴史を活かす観光施設として活用する方針だそうです。
 「旧 板谷邸」 は、大正 15 (1926) 年から昭和 2 (1927) 年にかけて建てられた、木造一部二階建の豪邸で、延べ約 440 u、敷地は約 5000 u にも及び、和風の主屋に洋館が接続する、当時流行したスタイルが特徴となっています。
 平成 11 (1999) 年に、板谷家から別の不動産会社に一時売却されましたが、この建物には少々思い出も残っています。以前、専門学校で建築の教員をしていた頃の話ですが、建築工学科 1、2 年の学生たちを対象に、「事例研究」 という教科目の中で 「小樽市内見学会」 を企画し、開催していました。毎年初夏に恒例となっていたこのイベントは、小樽市内を三つの見学コースに分け、学生たちは 4 〜 5 名でグループ行動をします。
 使い捨てカメラを片手に、与えられた設問を解きながら見学を行ない、後日、学校で写真を切ったり貼ったりしながらレポートを作成し、提出するというものです。その 2 年生たちが歩いた 「B コース」 の中に、今回の 「板谷邸」 も含まれていました。
 自分の記憶では平成 2 (1990) 年頃から始めたと思いますが、重厚な門構えで、どのような建物かも見ることができず、学生たちから 「写真が撮れない」 とよく文句を言われたものでした。
 ではここで、板谷商船の創業者で、海運王ともよばれた 「初代 板谷宮吉」 氏について簡単に・・・・・。
(紹介文中につき敬称を略します)
 初代板谷宮吉は 1857 ( 安政 4 ) 年、越後国刈羽郡宮川村 ( 現在の新潟県柏崎町 ) で藩の御用商人をつとめた漁網商、板谷善左衛門の四男として生まれました。明治 3 ( 1870 ) 年、14 歳のときに、同郷の海産商 金子元右衛門 ( 初代小樽区長で貴族院議員 金子元三郎の父 ) を頼って北海道福山 ( 現在の松前町 ) に渡ります。
 五年間の奉公の後、明治 8 ( 1875 ) 年、当時、新興商業都市であった小樽に移り、そこで海産商 工藤作右衛門の店で奉公に入りますが、24 歳で結婚し、明治 15 ( 1882 ) 年に信香町で米穀荒物雑貨店を開いて独立します。
 その後、明治 18 ( 1885 ) 年の入船町火災などで無一文となってしまいますが、そこに救いの手を差し伸べたのは同郷の高橋直治 ( のちの " 小豆将軍 " ) でした。
 小樽港は、明治 22 ( 1889 ) 年 7 月、特別輸出港に指定されますが、それにともなって小樽のまちも活況を呈し、宮吉は製米所を開業し、さらに醤油醸造業にも手を広めます。原料は故郷の越後から運び入れましたが、明治 26 ( 1893 ) 年には、そのための小型汽船 「魁益丸」 を購入します。一般にはこれが " 海運 " に乗りだすきっかけとなったと言われています。
 北海道でも屈指の商業都市であった小樽に商工会議所が設立されたのは明治 28 ( 1895 ) 年ですが、宮吉はその設立発起人に名を連ねています。翌 29 ( 1896 ) 年には北浜で倉庫業を開業し、さらに明治 32 ( 1899 ) 年には区会議員にも当選して、同年 「板谷合名会社」 を設立します。
 日清 ・ 日露の戦役では持ち船がいずれも政府用船 ・ 軍用船として調達され、莫大な補償金を手にすることになりますが、これが板谷海運発展のもととなったのは言うまでもありません。
 明治 44 ( 1911 ) 年には 日本 〜 ハワイ 間の定期航路を開設しますが、この年の所有船は全部で 6 隻 ( 17503 総トン ) で、日本国内 第 5 位の規模に達していました。
 翌 45 ( 1912 ) 年、板谷商船 (株) を設立しますが、その後、板谷合名を合併し、大正 11 ( 1922 ) 年には資本金 500 万円の大企業へと成長を遂げています。
 一方、中国大連には合資会社板谷商行を設立し、英国船を買って黒姫汽船合資会社へと成長、また樺太には金融会社を設立して樺太銀行と改称、その頭取として樺太の開発に貢献するなど、多方面で業績を上げました。
 大正 9 ( 1920 ) 年に夫人を亡くしてからは自らも病気がちとなり、大正 13 ( 1924 ) 年 5 月、享年 68 歳で死去しました。
 同年、先代の後を受けて社長の要職に就いたのが二代目 板谷宮吉 ( 先代の長男 真吉 ) です。

 今回 NEWS となっている、同市東雲町の高台に建つ 「旧 板谷宮吉邸」 は、長男の真吉氏が二代目宮吉を襲名した直後の、大正 15 ( 1926 ) 年から昭和 2 ( 1927 ) 年にかけて建てられたものです。
 商船社長 ・ 樺太銀行頭取から北門貯蓄銀行頭取 ・ 北海水力電気取締役 ・ 横浜生命保険社長のほかにも貴族院議員を 3 期つとめ、十合呉服店 ( 後の十合百貨店 ) ・ 京成電気軌道の要職なども歴任した二代目板谷宮吉 ( 右の写真 ) ですが、地元においては、旧制の 「小樽市中学校」 ( 現在の長橋中学校 ) 創立のために敷地一万坪有余と、当時で 25 万円 ( 現在では数億円 ) という私財を寄贈するなど、多方面で活躍しました。

◇        ◇        ◇
 なお、二代目板谷宮吉氏については、
『 小樽の人と名勝 』 ( 昭和 6 年 8 月 発行 )  に、
「 第四 貴衆両院議員小傳 」 の一人として紹介文が掲載されています。
 古書のため、関係部分を画像 ( GIF = 258KB ) で用意しておきましたので、どうぞご覧下さい。
※ 別ウィンドウで開きます。縦書きの文章のため、一番右側にスクロールさせてからご覧下さい。
  少し重たいです。m(_ _)m ページを分割すればよかったのですが、煩雑になるのを避けました。
  また、旧字体などが山ほど登場します。恐縮ですが各自でご健闘下さい。(^^)
  ( 右クリックから「対象をファイルに保存」を選択し、印刷してから読んだ方がいいかも・・・・ )
こちらからどうぞ → 『 小樽の人と名勝 』 「第四 貴衆両院議員小傳」 所収  「板谷宮吉」 紹介文

 ところで、「絵葉書の世界」ではどうかというと、板谷宮吉に関係のあるものはほとんどありません。
 ただ、絵葉書ではありませんが、小樽運河建設前の写真 小樽 #139 に、昭和 61 ( 1986 ) 年開通の「道道臨港線」の建設によって姿を消した石造倉庫群が写っています。( 少し小さめのサイズのものを下に用意しました )
 さらに拡大したものが下にありますが、
手前に見えている大きな倉庫と隣の木造の事務所らしきもの、さらにそれを挟んでその奥にある一棟は明治 33 ( 1900 ) 年竣工の広谷倉庫です。函館の海陸物産商、広谷源治の支店倉庫として建てられたものです。
 真中の木造部分はその後、石造になって一体化します。
 そして、さらにその奥に、木造の建物を挟んだ形で二棟の石造倉庫が見えていますが、これが明治 30 ( 1897 ) 年竣工の板谷倉庫です。屋号の 印が見えていますが、奥の方は屋根が相当傷んでいて、その後手前の一棟のみとなります。
 ちょっと古くて恐縮なんですが、「小樽運河」 が埋立て問題で新聞紙上を賑わすほどの大騒ぎとなる少し前、
おそらく、昭和 56 〜 57 年頃だと思いますが、小樽運河で撮影してきた写真があります。
 この頃は、とにかく暇さえあればどこかへ行って写真を撮っていましたが、それらのアルバムをめくっていて、今はなき 「板谷倉庫」 を写したものが出てきました。(H16.11)
 ( 20 年以上も前のカラープリントですので多少変色していますが、お許し下さい )
A 竜宮橋上から北浜方面を望む
B 広谷倉庫 (左) と隣り合う板谷倉庫 (右)
 
C 広谷倉庫 (左の三棟) と板谷倉庫 (手前の一棟)   D 板谷倉庫の妻壁に掲げられた イ 印の屋号
E 窓の鉄扉に見える屋号 ( "ハト" がどいてくれませんでした )

BACK






File #012 旧末広町分庁舎 (H16.11) BACK
 
A 函館 #063   B 凾館の商業街 末廣町十字街附近
   
C 函館大火 #001
※ 見えにくい方は画像を click すると部分拡大されます
( ただし、この C の画像のみです (^^ゞ )
  D 函館大火 #020   E 函館大火 #022

 11 月 4 日、函館市は 「 旧末広町分庁舎 」 の保存活用計画について、基本設計の中間報告を発表しました。それによると、現在、地上 5 階建の建物は、3 階建に大幅に改修されるものの、既存の外壁などを再利用するなど、周囲の景観にも配慮したものとなるそうです。
 内部は、「 地域交流まちづくりセンター 」( 仮称 ) として " 情報発信 "、" アート "、" 市民活動支援 " の三つのゾーンに分けられ、市民と観光客がともに利用できる施設となる予定で、約 7 億円をかけて 2007 年度のオープンをめざします。
 この建物は、大正 12 (1923) 年に 「 丸井今井呉服店 函館支店 」 として建てられた、鉄筋コンクリート造 3 階建の建物で、その後、5 階建に増築されました。( 上の絵葉書 A , B ※B の絵葉書は今回初めての登場です )
 昭和 9 年の大火で類焼していることもあり ( C 〜 E ) 、中間報告では、耐震診断の結果などから塔屋を除いて 4、5 階部分を撤去し、また、市電と南部坂に面する部分のみを残して裏側部分を解体し、L字形の建物とするそうです。
 改修後は当時の姿に近づけるため、正面入り口の屋上部分にドームを復活させるとのこと。( A )
 また、裏側部分の撤去にともなって、その跡地を駐車スペース ( 約 30 台 ) とイベントスペースにあてるそうです。(H16.11)( この NEWS に関しては 「 函館新聞 」 の記事を参考にさせて頂きました )

BACK






File #011 「北海道遺産」 第2回選定 (H16.10) BACK
 10 月 22 日に開催された北海道遺産構想推進協議会の総会において、「北海道遺産」の第2回選定 27 件が決定、公表されました。
 昨年の 6 月 1 日 〜 12 月 31 日の期間中に募集された「北海道遺産」 第2回選定候補 の集計結果が、今年の 1 月 13 日にまとまりましたが、応募総数は全部で 9107 通、1311 件、重複を除いた 1294 件が選定候補となりました。また 3 月 25 日には 352 件におよぶ第1次候補が決定、さらに、4 月 1 日 〜 5 月 31 日 の期間に行なわれた第1次候補に対する意見募集では 1300 通を超える意見が集まりました。
 その後、7 月 1 日 には第4回選定専門委員会で第2次選定に向けての審議が行われ、7 月 23 日に第2回選定の第2次候補 72 件が決定、さらに最終選考作業による最終候補 27 件が 10 月 20 日の北海道遺産構想推進協議会理事会、22 日の総会において承認され、「北海道遺産」 第2回選定が決定・公表となりました。
「北海道遺産」第2回選定 27 件のリストにつきましては 
こちら をご覧下さい。
 今回選定されたものの中には、
	旭橋 [旭川市]
	開拓使時代の洋風建築 (札幌時計台、豊平館、清華亭など) [札幌市]
	五稜郭と箱館戦争の遺構 [函館市]
	札幌苗穂地区の工場・記念館群 [札幌市]
	積丹半島と神威岬 [積丹町]
	函館西部地区の街並み [函館市]
など、このサイトで紹介しているものも含まれています。
 なお、所在地域マップなど、これらの詳細につきましては、
北海道遺産構想推進協議会による 「北海道遺産」 のサイトで公開されています。
 是非ご覧下さい。(H16.10)

BACK




File #010 遺愛学院本館 重文指定へ (H16.10) BACK
 10 月 16 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 高階秀爾 会長 ) は、 15 日、函館市の 「遺愛学院 ( 旧遺愛女学校 ) 本館 」 ( M41 ) など 12 ヵ所の建造物を重要文化財に指定するよう中山成彬文部科学相に答申・・・ 】 という記事が載りました。 平成 13 年に重文指定された 「宣教師館」 についての追加指定で、建設関係文書も含まれています。
 このコーナーの File #005 でも取り上げましたが、昨年度は増毛町の 「 旧 丸一本間家 」 が答申され、
12 月 25 日 に指定が告示されていることから、例年通りに手続きが進められれば、年内には重文指定といったところでしょうか。
 「絵葉書の世界」では、函館 #121 に 「宣教師館」 ( 下の写真 A )、#122 に 「寄宿舎」 ( 同 B )、#123 に 「講堂内部」 ( 同 C ) を取り上げています。また #087 「函館ハリストス正教会」 ( 同 D ) で、教会の隣には 「遺愛幼稚園」 が写っています。( 残念ながら 「本館」 のものは所蔵していません。m(_ _)m )
 
A 函館遺愛女学校 宣教師館 / 函館 #121   B 函館遺愛女学校 寄宿舎 / 函館 #122
     
 
C 函館遺愛女学校 講堂 / 函館 #123   D 函館元町より市中を望む / 函館 #087
 なお、「遺愛学院」 のオフィシャル・サイト http://www.iaijoshi-h.ed.jp/ は、歴史沿革や校歌のほか、"写真で見る遺愛学院" などのコンテンツがたいへん充実していて、ぜひ一度ご覧になることをおすすめします。
 また、今回の 「遺愛学院 本館」 の設計者、J.M.ガーディナー (1857〜1925) の詳細などにつきましては、
Docile さんの  「Architecture jardin 〜建築散歩〜」  http://www.age.jp/~docile/  ( LINK に掲載済み )  を
ご覧下さい。ガーディナーのほか、同学院講堂の設計者である W.M.ヴォーリズについても大変詳しく研究されていて、おすすめのサイトです。(H16.10)

BACK




File #009 大正時代の法廷復元へ (H16.8) BACK
 これも少し前の新聞記事 ( 8 月 25 日付 「 北海道新聞 」 朝刊 ) ですが、「 札幌市教委は、札幌市資料館 ( 中央区大通西13 ) に旧札幌控訴院時代の刑事法廷を復元・整備し、市民の司法教育の場として活用する事業を始め、2006 年の開館を予定している。」 との記事が掲載されていました。
 この建物は「札幌控訴院」として 1926 (大正15) 年に完成。大通公園の西の突き当たりに現存する札幌軟石を用いた歴史的建造物で、97 年には国の登録有形文化財にも指定されています。
 「絵葉書の世界」では、札幌 #114 に「新築落成記念絵葉書」 ( 下の写真 A ) がありますが、その他のものもここで紹介します。 ( 下の写真 B,C 写真 D は B の 「大法廷」 の部分を拡大 )
A 札幌控訴院 「新築落成記念」 ( T 15 ) / 札幌 #114
 
B 大法廷 / 背面外観   C 会議室 / 正面ヨリ大通リヲ望ム
D B の 「大法廷」 の部分を拡大したもの
 じつは今年の 4 月から札幌都心部にある小学校四校 「創生小」、「大通小」、「豊水小」、「曙小」 が入学児童の不足により統廃合され、新設校 「資生館(しせいかん)小学校」 (中央区南3西7) として再出発しました。
 札幌高裁としての役目も終え、73 年に開館した建物も次第に手狭となってきたため、市文化資料室を 「豊水小」 の旧校舎 (中央区南8西2) に移転することになり、大正時代の刑事法廷を復元することになったとのことです。2006 年のオープンが楽しみです。(H16.8)

BACK




File #008 北大交流プラザ 「エルムの森」 (H16.6) BACK
札幌農学校 昆虫及養蚕学教室 ( M 34 )

 上の絵葉書は、「 札幌 #013 」 で紹介した" 札幌農学校 昆虫及養蚕学教室 " というタイトルの一枚です。
   ( 正確には「東北帝国大学」時代のものですが ・・・ (^^ゞ )
 少し前の新聞記事 ( 6 月 22 日付 「 北海道新聞 」 朝刊 ) ですが、「 北大構内 ( 北区北9西8 ) にある北大交流プラザ 「エルムの森」 が、昨年 5 月のオープン以来一年が経過し、その来館者も当初の予想を上回る一万人に達した 」 との記事が掲載されていました。この施設は、建築家中條精一郎の設計による札幌農学校旧キャンパスに現存する 「 旧昆虫学教室 (1901) 」 を、約 6000 万円をかけて改修したもので、昨年 5 月 13 日に開館しました。外に開かれた大学を目指す取り組みの一環で、内部の部屋の仕切りや段差をなくしてバリアフリー化もすすめ、利用が無料なうえに飲食の制限もなく、来館者にとってはのんびりとくつろげるスポットになっています。
 話は変わりますが、9 月 8 日に札幌を襲った台風 18 号の暴風は今までに経験したこともないものでした。
 気象庁の発表によれば、最大瞬間風速は札幌で 50.2 m/s とのこと。我が家では TV のアンテナの支柱が強風で折れ曲がり、その日から VHF のチャンネルがしばらく見れない状態となりました。(おかげで 10 日の「セカチュー」最終回がヒドイ映像に・・・) 修理を頼もうと電話すると 「町の電気屋さん」 も大忙しで、二週間先まで修理の依頼がビッシリとか。仕方なく自分で直そうとホームセンターに電話すれば、TV アンテナが売れに売れて品切れ。とにかく最悪の台風でした。家から一歩も外へ出れるような状態ではなく、夕方のニュースを見て、街のあちらこちらでの傷あとがはっきりしてきました。翌日外に出て気づいたのですが、家の近くにあるボーリング場のピンの形をした看板が傾いていました。その後撤去されてしまいましたが。
 南大橋 ( 南 9 条の豊平川に架っている橋といったほうがわかりやすいですが ) の上では走行中のトラックが風で横倒しとなって隣の車を押し潰したとか、中島公園の大木が何本も倒れて道路をふさいだとか、テレビ塔の屋根がはがれて飛んだとか、北大のポプラ並木が何本も根こそぎ倒れたとか ・・・・・。
 そんな中、北大交流プラザ 「エルムの森」 の建物も倒木によって屋根が一部壊れ、元通りの姿にもどるのには少し時間がかかるそうですが、内部を見学するのは差し支えないとのこと。
 観光客をはじめ、北大を訪れる皆さんにはぜひご覧頂きたい施設です。(H16.6)

 ※ LINK のページにも載せておきましたが、詳細は下記のサイトでどうぞ。
   北大交流プラザ 「エルムの森」 
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/info-j/center-new/

BACK




File #007 旧函館検疫所 台町措置所 (H16.1) BACK
 この NEWS についての絵葉書は所蔵していませんが、内容に興味がありましたので掲載します。

 今年の 1 月 16 日付 「 北海道新聞 」 夕刊に、
"函館市は、明治期建築の市景観形成指定建築物である 「 旧函館検疫所 台町措置所 」 ( 船見町 25-18 ) の建物・土地を国から買い取ることを決定し ・・・・・ " という記事が載っていました。
 市内で最も古い木造建築の一つである同建物と、周辺の土地 1100 平方メートルをおよそ 3000 万円前後で買い取り、今後周辺市道の整備や外観の補修などを行ない、民間に賃貸して市民・観光客の利用できる施設として再利用する計画だそうです。

 函館における検疫の歴史は、1877 ( 明治10 ) 年 9 月、清国 ( 中国 ) でのコレラの流行がわが国にも波及する勢いをみせたため、内務省の指示により開拓使函館支庁内に検疫取扱事務所が臨時的に設けられたのが始まりです。ところが当時の防疫体制は至って幼稚なもので、十分な役割を果たすことはできませんでした。
 そのため、内務省は 1885 ( 明治18 ) 年に防疫体制強化のため、当時の主要港であった函館・新潟・横浜・神戸・下関・長崎に、わが国最初の常設消毒所を設置し、函館には同年 11 月に消毒施設、翌 19 年 5 月に隔離室 ( この建物はその後移築され、同市昭和町の永全寺納骨堂として再利用されています ) が併設され、「 函館消毒所 」 として検疫業務を開始しました。このときの事務所 ( 木造平屋 約 180 u ) が現存している建物です。

 1896 ( 明治29 ) 年 3 月、「 函館消毒所 」 は 「 函館検疫所 」 と改称し、また1945 ( 昭和20 ) 年には、敗戦による樺太からの引揚者の検疫にあたって活躍をしました。
 検疫所は、1968 ( 昭和43 ) 年に港湾合同庁舎内に移転して現在に至っています。
 現在、全国の検疫所は、小樽・仙台・成田空港・東京・横浜・新潟・名古屋・大阪・関西空港・神戸・広島・福岡・那覇の 13 ヶ所で、北海道における検疫は小樽検疫所が管轄し、名称は 「 小樽検疫所函館出張所 」 となっています。(H16.1)


※ 上の二枚の写真は 20 年近く前に私が撮影したものですが、参考までに掲載いたしました。
BACK




File #006 冨貴堂 (H15.10) BACK
 10 月 25 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
「文化育て 105 年 老舗書店が幕」 という見出しで記事が載っていました。
 その内容は、中央区南 1 西 3 の札幌 PARCO に入居していた 「パルコブックセンター冨貴堂」 が、この 26 日限りで売り上げ低迷を理由に閉店するというものでした。
 冨貴堂は、明治 31 (1898) 年、中村信以氏が札幌市南 2 西 3 で創業しました。同 39 (1906) 年には南 1 西 3 (現在の PARCO の場所) に店舗を新築して移転します。
 戦後に入ってからは、学習参考書等の教材や楽器の販売などを中心に札幌の文化振興に貢献してきましたが、昭和 50 (1975) 年に PARCO が進出するとテナントとして入居。同 56 (1981) 年には PARCO の傘下に入り、「パルコブックセンター冨貴堂」 として営業を続けてきましたが、今年 2 月の大改装で規模を縮小していました。
 本編では 「札幌 #04 / 094」 に、また 「mini album File #001 「博覧会」 / #007 開道五十年記念博覧会 ( 市街地風景 ) / #004」 に大正年間の三階建て店舗が見えていますが、念のため、このコーナーにも載せておきます。
 
札幌 #094   開道五十年記念博覧会 (市街地風景) / #004
 たしか小学生の頃だったと記憶していますが、現在のように多くの書店や楽器店などがなかった時代に、入口近くには木製の階段があって、そこを上ると油の塗られた黒っぽい木の床とその臭いの中に、それまで見たこともなかった金色に輝く楽器や黒く光ったピアノなどが並んでいました。
 子供心には " 丸井さん# " や " テレビ塔 " などよりも、そこに行くのが楽しみな "スポット" でもありました。
 それにしても、この出来事、チョットさびしい気がするのは私だけでしょうか ・・・・・・ 。(H15.10)

# 小さかった頃、現在の丸井今井百貨店札幌本店のことをこう呼んでいました。
丸井は だったので、「今井」 は 「まるい」 って読むんだと本気で信じていた時期がありました。 (^^ゞ
BACK






File #005 丸一本間家 (H15.10) BACK
 10 月 18 日付 「 北海道新聞 」 朝刊に、
【 文化審議会 ( 高階秀爾 会長 ) は、 17 日、増毛町の 「 旧 丸一本間家 」 を含む 14 件の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申・・・ 】 という記事が載っていました。
 今後、各手続きを経た上で、12 月には重文指定の見通しとのことです。
 ところで、左の絵葉書は、
「 道内各市町村 #14 増毛 5/8 」 で紹介した
" 増毛弁天町の朝暾 " というタイトルの一枚ですが、その中央部分を拡大したものが下の写真です。
 ここに見えている土蔵造りの建物が、今回、その付属建物と共に重文指定の答申に盛り込まれた「 旧 丸一本間家 」の店舗で、当時は呉服、醸造、海運などを手広く営んでいました。現在は、平入りの店舗と母屋、呉服蔵、醸造蔵、付属屋が現存しています。土蔵造りという伝統的な和風建築に、洋風の技術・装飾を取り入れた、明治を代表する豪商の建物です。
 初代 本間泰蔵は佐渡に生まれ、明治 6 年、23 歳で小樽に渡り、呉服店で修行を積みますが、同 9 年には増毛弁天町で店を構えます。同 14 年、この呉服店で財をなした泰蔵は石造りの店舗と呉服用の蔵を建てますが、これが現存している最も古い建物です。石材は、増毛と雄冬の中間にある日方泊 (ひかたどまり) で産出する淡黄色の軟石を用いました。明治 16 年、通りをはさんで米・雑貨を扱う荒物店を開業、また、汽船を使って小樽はもちろん、利尻礼文との交易などによって販路を拡張していきました。翌 17 年には酒の醸造を始めますが、これが "増毛の銘酒 「國稀」 " として現在に続いているものです。このほか、ニシン建網三ヶ統の漁場も経営するなど、一時は使用人だけで 40 人もいたそうで、天塩國の商圏を支配したともいわれたそうです。

 高倉健、倍賞千恵子主演の映画 「 駅 ・ STATION 」 でも有名になった増毛町 ───── 。
 北海道遺産構想推進協議会が平成 13 年 10 月 22 日に公表した、「北海道遺産」 第一回選定分 25 件の中に、「増毛の歴史的建物群 (駅前の歴史的建物群と増毛小学校)」 というのがありましたが、この 「 旧 丸一本間家 」 もその中に含まれていました。
 北海道内の重要文化財建造物は、この 「本間家」 で 24 番目の指定となりますが、すでに指定されている 23 件の 「重要文化財一覧 (北海道分) 」 と、「北海道内の登録文化財一覧」 「北海道遺産一覧」 「さっぽろ・ふるさと文化百選」 及び 「近代土木遺産一覧 (北海道分) 」# 「土木学会選奨土木遺産」## を用意いたしました。参考までにご覧下さい。TOP PAGE からどうぞ。(H15.10)

# , ## (社) 土木学会では、平成 12 年度より、明治から昭和初期にかけて築造され、50 年以上を経過して現存している土木構造物を 「 近代土木遺産 」
     と定義し、その中でも歴史的 ・ 技術的 ・ 希少性において価値の高い近代土木遺産に対して 「 選奨土木遺産 」 として認定・表彰する制度を創設
     しています。
BACK






File #004 薄荷 (H15.10) BACK
野付牛町 北聯薄荷工場

 これも File #003 と同じ新聞に載っていたニュースですが、北見のハッカについて紹介している「北見ハッカ記念館」 (北見市南仲町) の入館者数が、1986 年の開館以来、過去最高を記録しそうだとのこと。 9 月 20 日現在の入館者数は 13315 人。昨年 12 月にオープンした「薄荷蒸留館」 が人気を呼び、過去最高だった 2000 年度の 20367 人を突破する勢いで、これまでの入館者数の減少傾向に歯止めがかかっているそうです。
 ハッカ (薄荷) はシソ科の多年草で "ミント" とも呼ばれますが、一般には薄荷脳 (メントール) を含む同属の植物の総称で、セイヨウハッカ (ペパーミント) やオランダハッカ (スペアミント) などがあります。薄荷の葉を乾燥・水蒸気蒸留して薄荷油を精製します。
 北見 ( 当時は "野付牛" と呼ばれていました。昭和17年の市制施行で改称されます。---本編参照--- ) における 「薄荷」 の記録は明治 30 年が最初とされています。その後、作付面積も飛躍的に増加し、北聯 (ホクレン) がハッカの取扱いを始めたのは昭和 6 年のこと。北聯 (ホクレン) は「北海道信用購買販賣組合聯合會」の略称です。
 同 8 年に、「北聯野付牛薄荷工場」が着工、翌 9 年に竣工しますが、これが上の絵葉書に写っている建物です。実際にはこの写真の右手奥に工場正門があり、その脇に事務所棟が建っていました。昭和 58 年、「ホクレン北見薄荷工場」は半世紀にわたる歴史の幕を閉じ、ホクレンは用地の一部・旧事務所・工場資料などを北見市に寄贈しました。「北見ハッカ記念館」はこの旧事務所を改装したものです。
 北見を訪れた際には是非ご覧下さい。(H15.10)

※ 『觀光の札幌』 ( 札幌觀光協會 昭和12年 ) に掲載された同社の広告を用意致しました。
こちら からどうぞ。
 北見ハッカ記念館
   北見市南仲町 1 丁目 7 番 28 号 (JR 北見駅から徒歩 10 分)
   TEL 0157 - 23 - 6200
   開館時間  午前 9 : 30 〜 午後 4 : 30
   休 館 日  月曜日・国民の祝日の翌日・年末年始 そのほか臨時休館あり
BACK






File #003 北海道遺産の旅 (H15.10) BACK
 
小樽 #105   小樽 #117

 10 月 4 日付 「北海道新聞」 夕刊に 「 " 修学旅行 " 大人に好評 」 の見出しでニュースが載っていました。北海道遺産指定の「小樽港北防波堤」などを巡る札幌発着の観光ツアーが人気とか。
 北海道中央バス (本社小樽) の子会社、シービーツアーズ (本社札幌) が今年から始めた、この「北海道遺産の旅」小樽みなと防波堤・北のウォール街コースも、今年のツアーは残すところあと二回で、来年も継続の予定だそうです。採算性からも難しいのでしょうが、この種のツアーはどんどん増えてもらいたいものです。
 上の絵葉書は、いずれもその防波堤をとらえたものですが、#105 は「大日本帝国軍艦 寄港記念」のスタンプがあります。手前からまっすぐ伸びているのは手宮の高架桟橋で、その左上に北と南の防波堤と燈台が向き合っています。#117 は北防波堤の上から撮影したもので、正面が赤燈台、右手の船体のかげに白燈台が見えています。
 北防波堤が廣井勇、南防波堤が伊藤長右衛門によるものですが、この二人の技術者にも、ぜひもう一度、目を向けてもらえればと思います。(H15.10)
BACK






*増刊号* 薬膳カリィ本舗 TONZI (H15.9) (^^) BACK
 あのですね。
 このコーナー、上にも書いてある通り、絵葉書に関したものをお知らせするところなんですけど、
PROFILE のページでも文中でご紹介しておりました、
私の友達がやっている東京国立のスープカレーの店、「薬膳カリィ本舗 TONZI」 のことが、
9月13日 (土) 付 北海道新聞夕刊のトップに写真入りで掲載されたんですよ。
 それで、嬉しくてですね。
 何とか応援していこうと思いまして、どこに載せようかと、いろいろ迷ったんですけど、
私的には 「ニュース」 でしたので、「増刊号」 として、ここ、NEWS のページに載せることにしました。
 まぁ、臨時増刊だと思ってお許し下されば幸いです。m(__)m

 新聞紙上では 「特集 土曜フラッシュ」 の中で、『札幌発 スープカレー / 首都圏で人気ピリリ』 と題し、
札幌が "発祥の地" といわれるスープカレーの、首都圏への進出を取り上げて、東京・世田谷の 「マジックスパイス」 や 「横濱カレーミュージアム」 とともに東京・国立の 「薬膳カリィ本舗 とんじ」 を写真入りで紹介していました。(詳しくは紙面をご覧下さい。・・・・・ ネットでも見れるかなぁ?)
 6月にも NHK の TV 番組で取り上げられていましたが、このまま順調に繁盛してくれると嬉しいです。
 なかなか東京へ行く機会がないので、私もいつ食べに行けるかわかりませんが、この春に電話で話した時は、「結構取材が多くて、スープカレーも浸透してきたみたいだ」 って言ってました。
 健康に気をつけて頑張ってもらいたいです。

 PROFILE のページでは私の行きつけの店を詳しく紹介しましたが、友達の店の紹介ページも、どこかに作ろうかなぁって考えています。そのときはお知らせしますね。では。(H15.9)
BACK






File #002 ニュー北海ホテル 営業終了 (H15.6) BACK
旭川 17/40
旭川 2/40 小樽 #050

 6 月 7 日付 「北海道新聞」 朝刊に、「ニュー北海ホテル営業終了」 の見出しでニュースが載っていました。
旭川出身の作家 故三浦綾子さんの代表作 「氷点」 にも登場する、同市内では格式のある老舗のホテルですが、建物の老朽化などの理由から来年の 3 月末で営業を終了し、また建物も取り壊すとのことです。
 その前身は、大正 9 年 (1920)、4 条通 8 丁目に開業した 「小樽北海屋ホテル旭川支店」。
 「絵葉書の世界」の中では、道内各市町村 旭川 2 / 40 及び 17 / 40 に、その前身となった建物が、また 小樽 #050 には小樽本店の建物が登場しています。 (H15.6)
BACK






File #001 日本銀行旧小樽支店 金融資料館 OPEN (H15.5) BACK
小樽 #022
小樽 #021 小樽 #023

日本銀行旧小樽支店の建物が 「金融資料館」 として再生され、平成15年5月14日 (水) にオープンしました。
日銀小樽支店の建物については、2001年年6月に日銀がそれまでの売却方針を転換して、道内での金融の歴史を含めた資料館にする方針を表明していましたが、準備も整ってようやく開館の運びとなりました。

 "小樽市色内 1丁目11-16" に現存する 「日本銀行小樽支店」 は、明治45 (1912) 年に竣工した煉瓦造二階建ての重厚な建築で、商都小樽を代表する近代建築です。設計者には、明治の建築界を代表する 「辰野金吾」 (1854 - 1919) と、後輩で教え子でもあり、当時日本銀行技師であった長野宇平治 (1867 - 1937)、さらに同じく後輩で教え子の岡田信一郎 (1883 - 1932) が名を連ねています。
 また、設計者である 「辰野金吾」 とその出身学校である 「工部大学校」、そして彼の同級であった我が国最初の建築家たちについては、同じく小樽市内に現存する 「重要文化財 旧日本郵船小樽支店」 とその背景等について書いたものがありますので、あわせてご覧下さい。
─→  
「旧日本郵船()小樽支店の建物について」

 日銀小樽支店の建つ 「色内通り」 周辺は大正末期から昭和戦前にかけての小樽最盛期を支えた一大商業地区で、この通りと交差する "緑山手通り" (浅草通り) にかけて、銀行、商店や商社などが軒を競い合いました。
 中でも緑山手通り周辺には、日本銀行のほか、三井物産、北海道銀行 (戦前のもの) 、三菱銀行、北海道拓殖銀行、第一銀行、小樽銀行協会、三井銀行、百十三銀行などが建ちならび、「北のウォール街」 とよばれたこともありました。

今回オープンする 「金融資料館」 には、
"日本銀行のあゆみ" や "よみがえる北のウォール街" を紹介する 「歴史展示ゾーン」
日本銀行の業務などを紹介する 「業務展示ゾーン」
パソコンなどを利用して金融知識を学ぶことのできる 「マルチメディアコーナー」 が用意されています。(H15.5)

日本銀行旧小樽支店 金融資料館

〒 047 - 0031
小樽市色内 1丁目11番16号   TEL 0134 (21) 1111

 
開館時間 9 : 30 〜 16 : 30  (入館は 16 : 00 まで)
 
休 館 日 月曜日
(ただし月曜日が祝日・振替休日のときは、その翌日以降の最初の平日)
年末年始 (12/31 〜 1/5)
 
入 館 料 無 料
 
交   通 JR 小樽駅下車 徒歩 約 10 分
 
予   約 20名以上の団体は電話予約が必要
 
U R L http://www3.boj.or.jp/otaru-m/

※ 「日本銀行小樽支店 巻末附図説明」の PDF ファイルは Download のコーナーに移りました。m(_ _)m
BACK