奥に見えるのが小樽港です。また、縦に走る道路が左右に一本ずつ見えています。右の通りは停車場通りで、手前の突き当たりに小樽駅があります。 (最初の写真を参照) この頃は「中央小樽駅」とよばれていました。またこの通りの海側の突き当たりには桟橋と待合所があります。突き当たり右手の二階建て、大きな屋根が待合所です。( 後出の 小樽 #140 で確認できます )
 左の通りは手前の船見坂へとつながる船見通りで、どちらの通りにも、その途中に手宮線の白い踏切が見えていますが、この手宮線の一本海側の通りが、当時のメイン・ストリートともいえる「色内通り」です。明治37年 5月 8日、2481 戸を焼失する稲穂町大火がありましたが、その後の市区改正で新たに誕生した道路です。
 中央にひときわ大きな二階建ての建物が見えていますが、これは明治39年12月に竣工した北海道拓殖銀行小樽支店です。設計者は大蔵省営繕の建築家、矢橋賢吉。(詳細は REPORT で)
 この店頭の様子は 小樽 #039 及び 小樽 #136 でも見ることができます。
 またこの建物の後方海側に、横に長い建物の屋根が見えていますが、これは明治23年から27年にかけて建てられた小樽倉庫 (現 小樽市博物館・運河プラザ 他) です。
 今でこそ運河沿いに建ち並ぶ石造倉庫群が小樽観光の中心になっていますが、これらの倉庫群は明治年間にはすでに建てられ、実際に使用されてきたものがほとんどです。
( 小樽 #139 及び 小樽 #140 を参照 ) つまり、運河ができる前からあったということ。
 話を先ほどの拓銀の建物に戻しましょう。
 この建物の向かって左隣には、明治44年11月、石造三階建ての清水合名会社が竣工しますが、この写真ではまだありません。また、左の船見通り突き当たり右手に切妻屋根の建物が見えていますが、これは明治39年に竣工した磯野商店倉庫で、現在は「海猫屋」となっています。
 今度は右手の停車場通り (現 中央通り) に目を移しましょう。
 手宮線の踏切から数軒奥に行ったところが色内通りとの交差点ですが、その右手の角に、大きな窓が四つ並んだ二階建ての建物が見えます。これは明治31年に竣工した小樽銅鉄船具合資会社の建物ですが、この交差点付近は当時「色内町十字街」として絵葉書の題材によく使われたところです。本編でも 小樽 #030 小樽 #032 小樽 #033 小樽 #034 小樽 #036 などで見られます。
 この建物はのちに増築されて三階建て ( 小樽 #031 ) となりますが、井淵ビルと名前を変えて昭和の時代を乗り越えたこの建物も、平成 4年 3月、中央通りの拡張工事のために取り壊されました。