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船場町 荷揚場
二十銀行発行の絵葉書
船場町
右手前 拓銀支店 (T12)    旧店舗は
矢橋賢吉の設計 (T10 大火で焼失)
その奥 煙突の見えている建物は
海産商同業組合 (T9)    設計は
関根要太郎 (現存)    日本最古の
コンクリート電柱が見える
大黒町 函館座前の光景
前身は山ノ上町にあった常盤座
(M12 大火で類焼)
のち、市川座、渡島座と改称し
M30 函館座となる
地蔵町より鶴岡町を望む
右手に棒二荻野呉服店が見える
左手 ドームの建物は
北海道銀行 地蔵町支店
その奥 わずかであるが
函館貯蓄銀行 (T15) の建物
が見える
同左
M30 に開通した馬車鉄道は
"馬二頭立て"であった
131 132 133 134 135
鶴岡町通り
右手は 札幌ビール会社出張所
同左 北海道拓殖銀行 函館支店 (M38.4)
新築記念絵葉書 (同行発行)
(M42.6.20 のスタンプあり)
写真も絵も用いていない、珍しいもの
(建物の浮き彫りにスプレーを使用)
同左 内部
新築記念の絵葉書
同支店は T10.4.14 の大火で焼失
函館大火 063 参照
蓬莱町 東見番前
蓬莱町は大門遊郭の裏口に位置し
芸妓楼は M40 大火直前で 63軒
遊女は 650名をこえたという
見番は函見・中立見・東見・町見
の四ヶ所 M40/T10 の大火で
打撃をうけ、中心は銀座街へ移った
136 137 138 139 140
蓬莱町 錦輝館前電車通り
左手 電車のかげに見えるのが
活動常設館 松竹錦輝館
大正時代には 台場町・大黒町・
恵比須町・蓬莱町などのほか
大門地区に多くの映画館があった
恵比須町 銀座通り
T10.4.14 の大火後 防火帯に
教訓より不燃建築を奨励し
「銀座通り」の街並みができる
大正末から昭和初めにかけて
カフェ、バーなどが林立した
同左
S9 大火までは
この街が繁華街であった
函館区は"市街地建築物法"により
火防線を設定、不燃建築奨励の為
建設補助金の貸付を行った
同左
左手前は
カフェレストラン「函館軒」
のちにカフェー「銀座会館」となる
同左
右手前は「カフェーダイヤ」
左手 4階建は函館日日(ヒビ)新聞社
T7 創刊 "酒は涙か・・・ "で有名な
高橋掬太郎がいたのはここ
S10 には「函館市誌」を刊行
啄木がいたのは日日(ニチニチ)の方
141 142 143 144 145
同左
左下に S12検閲済 の記載あり
(S9 大火後である)
左手は カフェー「銀座会館」
スズラン灯が目新しい
ネオンが眩しい夜の銀座通り
この絵葉書のサブタイトルには
"ジャズで踊ってリキュルで更ける
夜の銀座" とある
明治時代の二大遊郭は
台町と蓬莱町であったが
M40 大火で、ともに大森町に移転
その大森遊郭を代表する
カフェーがこの「日の出」であった
函館郵便局 (M44)
地盤が悪かったために
1200 本の木杭を打ったという
平面的には三つのブロックに分かれ
出入り口のある中央部は「郵便課」
左側が「電話課」、右側は「電信課」
であった     設計は逓信省である
函館郵便局 電話分室
内部の様子
146 147 148 149 150
函館市役所 (M35)
(元 区役所の建物 豊川町)
自治制の区制施行は M32.10
T11 市制施行により市役所となる
S9 大火により焼失
函館区役所 (M35) 背面の様子
M11 区役所裏手 (写真右手) に
「豊川病院」 (公立) ができるが
M39 廃院 のち 佐藤函病院長が
私立で引継いだ
啄木の未亡人節子が T1 入院し
翌年になって死去したところ
函館停車場 (左奥) 前の光景
北海道鉄道鰍ェ函館から大野まで
鉄道を敷いたのは M35 である
その時の停車場は海岸町であった
現在地 (写真) での開業は M37.7.1
函館停車場前 夜の賑わい 函館停車場
M40 から国有鉄道となる
その駅舎は T2 に焼失
T3 に新築したのが写真のもの
この駅舎も S13 に焼失し
さらに S18 新築したものが
現在の駅舎である
※ ここでも、絵葉書ではありませんが、以前に所蔵していた写真帖から写真を紹介いたします。
  ただし、#163 / #164 のパノラマ写真と #165 は台紙に貼り付けられた生写真で、ずいぶん前に市内の古書店で購入したものです。
  (この写真帖も何年か前に札幌市内の某古書店にまとめて買い取ってもらいました。また生写真の方も、事情があって、つい最近手放してしまいました)
161 162 163 164 165
船場町 荷揚場前 (M42頃)
左手に金森倉庫二棟が見える
(金森倉庫は M40 大火後に新築)
126 の逆方向からの眺め
工事中の弁天台場入口 (幕末)
10万両の予算で着工
不等辺6角形で、高さは約 37尺
工事期間は
安政3 (1856) 〜 文久3 (1863)
設計監督 武田斐三郎
港湾改良工事のため M29 取壊
函館市街 パノラマ (M26)
(163 〜 164 の二枚続き)
左手 海に突き出ているのが
弁天台場     162 の入口が見える
台場の右手 四角に突出た部分は
M8 杉浦嘉七が埋立ててできた
幸町
同左
基坂 及び 旧税関・電信分局・
三井銀行・郵便局などが見える
基坂上の横長の屋根は北海道庁
函館支庁 さらに金森洋物店・
今市洋物店・函館商業学校・
遺愛女学校などが見える
M 20 頃の函館県庁 (正面) と基坂
M 15.2 の開拓使廃止により
函館・札幌・根室の三県設置
右手に函館病院・警察署など
右手前は函館電信分局 (M14)
左手前は郵便局 その上は
英国領事館 (M18頃)
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※ これらの市街地を写した「絵葉書」とは別に「函館大火」後の惨状を取り上げたものがありますので、
  興味のある方はぜひご覧ください。
函館大火の絵葉書についてはこちらからどうぞ