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函館の絵葉書を見るときに知っておかなければならないことがあります。
まず先に [ 函 館  #03 ] の #064 の絵葉書を見てください。何か気付きませんか。
#064
後方に見えている 「函館山」 の一部が雲によって隠れているように見えていますが、これは雲ではありません。
これは陸軍要塞司令部の検閲によって意識的に隠されたものです。

ここで 「要塞地帯法」 についてちょっと説明を ・・・・・。

「要塞地帯法」 は明治32 (1899) 年 7月15日、法律第105号として公布されました。
この年、全国各地の沿岸に「要塞」がつくられます。

「要塞地帯法」 の第一条には 「要塞地帯トハ国防ノ為建設シタル諸般ノ防禦営造物ノ周囲ノ区域ヲ云フ」 とあり、また第七条には 「何人ト雖要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ要塞地帯内水陸の形状又ハ施設物ノ状況ニ付撮影、模写、模造若ハ録取又ハ其ノ複写若ハ複製ヲ為スコトヲ得ス但シ軍機保護法ニ特別ノ規定アルモノニ付テハ其ノ規定ニ依ル」 とあります。

函館山の要塞は明治32 (1899) 年11月に完成、翌33年 5月には重砲兵大隊内に函館要塞司令部が置かれ、その後、谷地頭 (函館八幡宮横) に移りました。
実際には33年の 「要塞地帯法施行規則」 実施によって函館山は全山立入禁止となり、また函館山から半径およそ 10 km 以内での測量、撮影などは、要塞司令部の許可が必要となり、厳しい検閲があったといいます。

その後、「函館要塞司令部」 は昭和 2 (1927) 年に 「津軽要塞司令部」 と改称され、
( これは絵葉書の年代考証の手がかりにもなります)
戦後の昭和21 (1946) 年 5月になって一般に開放されました。 #064 の絵葉書の左下には 「要塞司令部許可済」 と見えています。この頃の絵葉書にはほとんど見られますので、その辺にも注目しながらご覧ください。

この要塞化によって 「函館山の生態系」 は保存され、自然がそのままの姿で残されたことは皆さんもご存知だと思います。

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001 002 003 004 005
函館市街のパノラマ (T中頃)
(001 〜 006 6枚続き)
M5.9 札幌が開拓使本庁となるが
M6 当時の人口を見ると
札幌 約 5,500 人に対して
函館は 25,000 人以上であった
同左
手前の建物は
庁立函館商船学校
同左
手前の建物は
弥生尋常高等小学校
同左 末廣町方面
函館税関、相馬(名)、中華会館
などが見える
右手は函館病院
同左
東浜町方面を望む
日銀支店、金森倉庫群が見える
006 007 008 009 010
同左
右手 瓦屋根の建物は
函館区公会堂
遠くに東本願寺別院の大屋根 (T4)
が見える
(わが国初の鉄筋コンクリート寺院)
函館山より基坂周辺及び港を望む
公会堂、日銀、税関などが見える
寛政12年 (1800)、
この山頂に立った伊能忠敬は
本道測量の第一歩、つまり
"四千万歩" の第一歩を記した
公会堂より港を望む
手前の屋根は函館支庁 (M42.10)
T11 渡島支庁と改称
(現 元町観光案内所/写真歴史館)
右手に英国領事館 (T2)、日銀、税関
左手は函館病院
元町カトリック教会堂 (M42頃)
T10 の大火で類焼
(函館大火 066/079 参照)
外壁を残して T13 再建
現在に至る
函館山より谷地頭を望む
011 012 013 014 015
函館山より大森浜方面を望む
弁天砲台 (安政 3 弁天台場とも言う)
設計は武田斐三郎
総面積 約 1万 2千坪
高さ 37尺 15門の砲座を備える
M29 港湾改良工事のため取壊
(工事担当 廣井勇)
出入口付近は #162 を参照
港内を望む
手前 東浜桟橋
鉄道省出札所は T10 に廃止
鉄道の旅客桟橋ができた後は
旧桟橋とよばれる
基坂
日銀支店と税関が見える
日銀の右手奥に見える建物は
東浜町ビルディング
路面電車は T2 に運行開始
二十間坂と馬車鉄道
幅二十間であるところから命名
函館山要塞の大砲は
この坂から上げたという (M33)
馬車鉄道は M30 開通
M44 函館水電が買収 T2 電化
016 の拓銀支店 (M38) はまだない
016 017 018 019 020
同左
左手奥に拓銀支店が見える
設計は矢橋賢吉 T10 焼失
(133/134 も参照のこと)
さらに奥に函館郵便局 (M44)
右手遠方は
函館区役所 (M35 S9 焼失)
駒ケ岳の大噴火
S4.6.17 午前10時 大爆発
噴煙は 13,000 m上空まで達した
手前のドーム屋根は
十字街の丸井今井百貨店 (T12)
(旧 市役所分庁舎)
※ この写真についての説明
岸壁桟橋 (M43.12 完成) と連絡船
この桟橋完成により
東浜桟橋は "旧桟橋" と呼ばれる
同左 乗降口の様子 桟橋 停車場待合室 内部
021 022 023 024 025
東浜町より港内を望む
左手は東浜桟橋
大森浜海水浴場
M40 頃設置
M43 個人経営から
函館軍人団の経営となる
海中を区画し、脱衣場・淡水風呂
・救助用小舟を用意するなど
本格的なものであった
七重浜海水浴場 湯川 トラピスチヌ修道院
M31 創立
正式名称は
厳律シトー会天使の聖母大修道院
司祭館 (T2) 聖堂 (S2)
本館は T14 焼失し、S5 ヒンデル
の設計で再建
同左
説教室内部の様子
小樽で紹介したものと同様、上に紹介した絵葉書のうち、#001 〜 #006 は六枚セットのパノラマとなっています。

こちらも、#001 〜 #006 をつなげて一枚としたものを用意しましたので、あわせてご覧下さい。
函館山中腹より撮影した大正中頃の函館市街です。それにしても港内に停泊している船の数の多さに驚かされます。さすが函館といった感じでしょうか。
パノラマ中央に見える中華会館 (現存) から右方向にかけて、今も現存する観光スポット、相馬会社・渡島支庁庁舎・函館区公会堂・大谷派本願寺函館別院本堂などの建物たちが点在しています。
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